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「力(ちから)」をコントロールする/(武術・武道)
- 2018/11/09(Fri) -
1501_力


 ここに一枚の絵札がある。

 獅子に象徴されるのは、怒り、衝動、暴力、あるいは支配欲や権力欲などといった、原初的な「力(ちから)」である。

 その獅子を、女性が柔らかな「花輪の鎖」で優しく制している。

 つまり、原初的な「力」の衝動を、柔和な女性に象徴される「理知的な精神」がコントロールしているのだ。

 そして女性の頭上には、無限の持続性を象徴する数学記号である、「レムニスカート」が示されている。

 秘教的な示唆に富んだタロットの中でも、特にこの一枚が私は好きだ。

 「力」のコントロールは武術・武道における重要な心法であり、『三略』に云うところの、「柔能制剛、弱能制強」という兵法に通ずるところでもある。



 武術・武道に関わる者は、己の暴力的な衝動や、力(ちから)に基づいた支配欲・権力欲などを、武芸の道理、そして理性や倫理、社会人としての規範意識といった「花輪の鎖」で、常に正しくコントロールしていかなければならない。

 それができないのであれば、武術・武道の世界は、パワハラやモラハラ、肉体的・精神的ないじめがはびこるだけの、弱肉強食・下剋上が横行する修羅の道となってしまうだろう。

 私は自分の愛する武術・武道を、そのような獣性に満ちた世界に貶(おとし)めたくはない。


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 かつて、当身の名手として知られた合気道の西尾昭二師範は、自らの業を「許す武道」と表現した。

 武術・武道の修行とは、厳しくとも清廉かつ公明正大であり、特に指導をする者はその指導方針の根底に、門人への(一歩ひいた)慈愛や思いやりが無ければならない。

 そして稽古の「場」は、物理的にも精神的にも、清々しくあるべきだ。

 権威や金銭、支配や愛欲などといった俗事で、修行の場を穢(けが)してはならない。



 片手で数えるほどしか弟子のいない、地方の小道場のいち武術師範である私だが、常に「清き明き心」を旨に師や門人に接し、武術・武道人として恥ずかしくないよう自らを律し、己の心技を昨日よりも今日、少しでも高めていきたいと思う。

 ひいてはそれが、流儀を開いた流祖や代々の先人たちへの恩返しになるのだと信じている。


夫れ武は仁義の具。暴を誅し乱を救う。
皆民を保つの所以にして仁義の用に非ざるなし。
是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば即ち天下の至宝なり。
之を用うるに私怨奸慝(かんとく:よこしまな隠れた悪事)なれば即ち天下の凶器なり。
故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。
(岡田左馬輔筆「柳剛流免許之巻」より)



 (了)
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