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まだ見ぬ未来の君へ/(武術・武道)
- 2018/12/27(Thu) -
 実はこの秋から翠月庵の教授料について、これまでの1回3時間1,000円の会費制を改め、月々3,000円の月謝制に値上げしようと考えていた。

 その理由は、まあ端的に言えば、経済的な問題である。

 ざっと1年間の、翠月庵の武術・武道に関する金銭のバランスシートをみると、いうまでもないが赤字だ。

 利益を上げるために武術・武道をやっているわけではないので、儲けようとはまったく考えていないのだけれど、勤め人のようなボーナスもなく、富裕層のような資産も持たない私にとって、今年の赤字額は家計としてかなり限界に近いものだった。

 そこで、今後の翠月庵の持続可能性を考え、赤字を多少なりとも改善できないかということで、教授料の値上げを検討したわけだ。



 その後、門人諸子には値上げ開始予定の半年ほど前に、事前に状況を説明して合意を得ていたのだけれど、さらに熟慮をした上で、やはり値上げは中止にすることとした。

 当面の間、引き続き稽古1回3時間1,000円の参加費制を継続していこうと思う。

 その理由は、こんな時代で門人たちも厳しい生活を送るなか、東京や千葉といった遠方から埼玉のはずれまで、安くはない交通費を使って稽古に来てくれているわけで、彼らにとっても月謝制になることでの経済的な負担は、軽いものではないだろうと考えたからだ。

 翠月庵は、貧しい者にも裕福な者にも、若者にも壮年者にも、全ての人に等しく門戸を開いた、だれもが本物の武芸を学ぶことができる「場」でありたい。

 そんなわけで今しばらくは、道場主である私が少々痩せ我慢をして赤字を補填し、教授料金は据え置きにしようと考え直したのである。

 とはいえ、本日集計したところ、2018年の私の生業(著述業)の年間売上は、恒常的な出版不況の影響もあって、前年割れであった。

 この調子で、来年以降も年収が下がっていくなら、改めて教授料の値上げ、あるいは武芸にかかる経費の抜本的な見直しも、考えなければなるまい・・・・・・。

 富める者はますます富み、貧しい者はさらに貧する「格差社会」である、現在の日本で生きていくのは、まことに厳しいことだ。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 武術修行を続けていくためには、どうしてもお金がかかる。

 資産家や富裕層、冬のボーナスが90万円や100万円になるような大企業の勤め人といった「上級市民」であれば、それは取るに足らない問題であろう。

 しかし、社会における格差がますます広がるなか、不安定な雇用の中で必死に仕事を続け、家族や大切な人との生活を守り、税や公共料金をきちんと納め、先の見えない将来に備えて5,000円や1万円といったささやかな金額を貯蓄にまわすだけで精いっぱいの、私たち「庶民」には、武術・武道を続けていくための金銭の負担は、けして軽いものではない。

 だからこそ、もし、まだ見ぬ未来の門人に、

 「お金が無いと、武術はできませんか?」

 と問われたなら、私は、

 「お金が無いからといって、武術修行をあきらめなくてもいいんだよ」

 と伝えたい。

 武術・武道とは、貧富の差にかかわりなく、だれもが厳しく真摯な鍛錬によって自己実現できる、全ての人に開かれた「門」であるべきだ。



 幸か不幸か、私は養うべき子供も親もおらず、家も車も持たない、無一物の「流れ武芸者」である。

 だからこそ、生活費を切り詰めながら稽古会を維持し、歳を重ねてもできるだけ「下達」せず、わずかずつでも「上達」をし、己自身の出処進退で、“それ”を証明していかなければならぬ。

 シングルマザーの貧しい家庭で育ち、少年時代から稽古着ひとつ、木刀一口買うのにも苦労をしてきて、おそらくこの先も「富裕層」にはならないであろう私は、そのように強く決意している。


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▲今から32年前。
 学業の合間、毎日の新聞配達に加えて、鉄工所や道路工事、スーパーマーケットでの夜勤のアルバイト代で、月謝や武具の費用などを賄い、旧師のもとで必死に剣術や柔術を学んでいた17歳の時。
 親のお金で稽古をしているような「ぬるい奴ら」にだけは、絶対に負けるものかと思っていた、猛々しくも痛々しい、若かりしあの頃・・・

  *  *  *  *  *  *  *  *

 民藝運動の提唱者であり、思想家・宗教哲学者でもあった柳宗悦は、金と俗にまみれて堕落しきった現代の茶道と茶道人を、厳しく批判した。

 柳が執筆した、「茶人の資格」という以下の一文。

 「茶人」という呼び名を「武人」に、「茶」という文字を「武」という字に、「茶事」という言葉を「武芸」に、それぞれ置き換えて読むと、いかがであろうか?


茶人と呼ばれる人の中には、金持が多く幅をきかせたり、道具屋が茶人を気取ったり、また十徳などを着て、幇間のようなふるまいをする者をよく見かけるが、凡て、茶人と呼ばれる資格はあるまい。金持や商人が茶人になれぬとはいえぬが、非常にむずかしいのである。私欲を離れた生活がしにくく、脱俗の心からは、とかく遠のくからである。茶人であるから、金銭にも、名誉にも淡泊でありたい。今の「茶」が、とかく金銭に隷属しがちなのは、「茶」を濁している大きな原因であろう。この頃は道具屋の介入が目立つのも、「茶」を浄めない所以であろう。俗界への執心が強くては、茶事を深めぬ。いわんや、免許も金次第となっては、もう泥海と違いはあるまい。(「茶人の資格」/柳宗悦)




 (了)
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