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柴真揚流の稽古で実感する、水月の殺の合理性/(武術・武道)
- 2019/01/11(Fri) -
 昨日は、年末からやっていた仕事がひとつ、ひと段落ついたので、早めに仕事を終えた。

 来週からは取材やインタビューが続きさらに多忙になるので、「今日は稽古はサボるかなあ・・・」ということで、久々に近所の焼き鳥屋で宇宙一旨いカシラとネックを食べて軽く一杯やり、帰宅して早めにベッドに入った。

 ところがどうも、気持ちが落ち着かない。

 仕方なく、日付が変わったころにのそのそとベッドからはい出て、いつも通り30分エアロバイクをこぎ、筋トレをしてから、結局稽古を始める。

 しかも、「今週いっぱいは、柳剛流の稽古に専念しよう」と決めていたにも関わらず、飲んで帰ってきてからベッドに入って『天神真揚流柔術極意教授図解』を読んでいたこともあってか、どうにもこうにも柴真揚流の稽古がしたくなってしまった・・・。

 我ながら、なんとも意志の弱いオトコである。

 そこで稽古着に着がえ、「左巴」、「右巴」、「左車」、「右車」、「両手捕」、「片胸捕」、「両胸捕」、「柄捌」、「巌石」と、これまでに学んだ9本の居捕の形、そして小太刀居合の形を復習。

 さらに、当身台を相手に、水月や電光の殺などを実際に当てる稽古。

 ひとしきり的に当身をぶち込んで、ようやく気分もサッパリと落ち着いた。

 これで、安心して寝られるというものだ(笑)。



 最近つらつら思うのは、柴真揚流を学ぶことで、いまさらながらようやく、古流柔術特有の親指を握り込んだ握拳による拳にひねりを加えない突きでの水月の殺(当身)について、

 「なるほど、こうした状況では、このような当てがより有効で合理的なのだなあ」

 という、確かな手ごたえを実感できるようになったということだ。

 実際に的に当身を打ち込む稽古をしていても、たしかに腑に落ちるのである。

 これは、さらに鍛練して、己の業にしていかねばなるまいね。


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 柔(やわら)の当身は、奥が深い。

 (了)
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