エア居合VS物斬り屋という時代/(武術・武道)
- 2009/11/17(Tue) -
 無冥流「松の間」のページ(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)に掲載されている、「10間投げ、よもやま話」という論考、たいへん興味深いものです。

 斯術をたしなむ者なら、ぜひ一読しておいた方が良いでしょう。

 手裏剣術における、間合と武術性の関係について、また鍛錬としての長距離打剣の意義などが、わかりやすく解説されています。

 しかし、私も結局、今年は7間直打が限界であった。ま、距離の課題は、ぼちぼち進めていこうかと思う。

                  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 先日、とあるSNSで、小学校低学年くらいの女の子が、本身の打刀で半巻きの畳表を斬る動画がアップされていた。

 父親という御仁が、「うちの娘でも、これだけ斬れます」的なコメントをつけていたんだけれども、さすがにこれは、どうかと思う・・・・、ま、人ごとだけれども。

 コメントなど読むと、この親御さんは、居合か抜刀術の低~中段者のようだけれど、よくもまあ、師範なり指導員が、許したもんだなと。

 物斬りパフォーマンスが目的であるならべつだが、武術・武道として剣を練磨するのであれば、本身での斬りの稽古(試斬り・試物)など、年端もいかない子供にやらせるものではない。

 そんな時間があるなら、形稽古なり撃剣の稽古を、18歳ぐらいまでみっちりやらせるべきであろう。

 その上での、斬りの稽古である。

 仮に稽古者が成人であれば、稽古の方便として早い時期から斬りの稽古に取り組むのも良いだろうが、児童・生徒のような年齢の者に対する稽古としては、手の内や刀勢もままならず、なにより自身で危機管理ができない子供に本身をもたせ、試物を斬らせるなど、武術・武道としては百害あって一利なしである。

 そもそも試物を斬るという行為は、いささか「魔的」な魅力があるだけに、本来、武術・武道の稽古では、その取り組みは慎重であるべきものだったはずである。

 しかし、その結果として昭和時代後半には、「絶対に試斬はしない」という、極端なエア居合系の師範連が増殖してしまい、これはこれで、武術・武道としては言語道断の妄想剣術・妄想居合の類が広がってしまったのも、また事実である。

 おそらくこうした潮流の反動として昭和末期から平成以後、特にここ15年ほどの間、古流にせよ現代流派にせよ、試物を斬ることに積極的な流儀・会派が増えてきたように思われる。

 それはそれで個人的には、エア居合・エア剣術に比べれば良いと思うのだが、しかし一方で、本来稽古の方便だったはずの試物が目的になってしまえば、それはたんなるモノ斬り職人製造術にすぎない。

 なにしろ、畳表や竹は動いたり、反撃してこない。

 斬られて血を流したり、打たれて指を折ったりもしない。

 怒りや痛み、恐れや侮りを畳表や竹は感じないし、対する術者にも、それを感じさせない。

 (ま、「試物に飲まれる」というのは、人によってはある)

 いずれにしても、こういう偏った稽古法が、試物なのである。

 ゆえに技術的にも人格的にも未成熟な者が、「斬る」という魔的な魅力に耽溺してしまうと、結果として人格がゆがんでしまう危惧があるのである。

 特に未成熟な児童・生徒の場合、生育に悪影響を及ぼしかねないわけだ。


 こうした点から考えても、武術・武道の目的が、「武技の鍛錬を通しての人格の涵養」だと標榜するのであれば、児童・生徒にあたるような年齢の子供による試物の稽古など、即刻やめるべきである。

 「いや、うちは躊躇なくヒトもモノも斬れる人殺しを育てているので・・・」というなら話は別であるが、おそらく公にそう主張する武術・武道の流儀・会派は、現在の日本には存在しないであろう。

 たぶん・・・。

 子供たちに対しては、試物の稽古に使う時間と労力を、武術・武道の芯となる実学としての礼法、そして形稽古や撃剣の稽古、あるいは兵法古典の学習にあてるべきだ。

 その上で、武術・武道の基礎的素養はもとより、地域で暮らす社会人としても成熟してきた年齢(おおむね18~22歳くらいか)になってはじめて、本身で試物を斬る斬りの稽古に取り組むのが、現代社会でのまっとうな武術・武道の練成であろう。


 形骸化したエア剣術・エア居合が蔓延するのも困りものだが、逆に人格の偏った物斬り屋が武道家面する世の中というのも、それはそれで、いささかげんなりする浮世というものだ。

 しかし、そういう時代に、われわれ平成の武術・武道人は生きているということである…。

(了)


追記

 なおちなみに、手裏剣術の稽古においては、エア手裏剣はありえないことは言うまでもない。

 ゆえに、児童・生徒に対する手裏剣術の指導という点は、斯界の関係者が、しっかり考えて対応しなければならない課題なのである。また、この問題については、稿を改めて記述する機会もあろうかと思う。
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