「剣術=手裏剣術同質論」という誤謬/(手裏剣術)
- 2009/12/01(Tue) -
 無冥流のホームページ「松の間」に、『手裏剣術と剣術の不調和』という、たいへん興味深い論考が掲載されている(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)。

 これについて当庵掲示板で、同流・鈴木崩残氏への返信として私なりの考えを掲載したのだが、結構、長い一文になってしまったこと、また掲示板の書き込みというよりも、小論として掲載するに値するテーマでもあると思い、重複するが一部加筆修正をし、ここに再掲載する。

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~誤謬(ごびゅう、英:〔fallacy〕)一見正しくみえるが誤っている推理。推理の形式に違背したり、用いる言語の意義が曖昧(あいまい)であったり、推理の前提が不正確であることから生ずる。詭弁(きべん)。論過。虚偽~ (大辞林より)



 さて、従来の手裏剣術では、その指導において「(剣術において)刀を斬り下げる際に、その切っ先がちぎれて飛んでゆくような感覚で、手裏剣を打て・・・」などという、きわめて感覚的であいまいな表現をしてきた。

 こうした伝統的な主観的指導(たとえ話)の結果、現在になっても、剣術の操作と手裏剣の操作を混同する者が少なくないようである。

 その結果として「手裏剣術は難しい」という誤った先入観や、「3間を通すのに、数年もかかる」などという、本来無用な技術習得の難しさのみが強調され、認知されているのが現状であろう。

 当庵でも「剣術教習のための手裏剣術/正面斬り」というカリキュラムで検証・解説し動画でも公開しているが、おおよそ剣術の動きのまま(あくまでも「おおよそ」で、完全な剣術の動きではないことに注意!)で、直打で手裏剣が打てるのは、最大でも2間以下、たいがいは1間半前後までであろう。

 それ以上の間合になると、本人が自覚しているか、していないかは別として、必ず手裏剣術独自の動きが加えられてくるし、加えられないと刺中できない。その動きというのは、上記「松の間」で崩残氏がご指摘されているとおり、手の内の操作から腕の振り、手離れ、足使いなどなど、意識も含めて全身に及ぶものである。

 にもかかわらず、無理やり剣術と手裏剣術を同じ動きに規定しようとする、同じ動きだと思い込みたい、同じ動きだと勘違いしている人が、今も昔も少なくないようである。

 こうした「剣術=手裏剣術同質論」の人というのは、その多くが、自分の手の内や身体で起きていること、あるいは剣そのものの動きなどについて、客観的な理解が不足しているのだろう。

 まあ、ひいきの引き倒しというのは、だれしも大なり小なりあるものであるし、他人様に害がないかぎりは、それはそれで(いささか子供っぽいという意味で)微笑ましいものである。

 しかし、ここで大きな問題になるのは、勘違いしながらも普段から手裏剣を打ち慣れている「剣術=手裏剣術同質論者」当人はよいとして、そういう誤った理論・教習法によって指導がなされた場合、「手裏剣術を学びたい!」と純粋に志して教えを受ける側の上達が、不用意に阻害されるという点である。

 これこそが従来からある、「剣術=手裏剣術同質論」の最大の罪だといえるだろう。

 ただし指導者自身に、「それほど難しくない技術をあえて難しく教え、己の権威を高めたい」とか、「少しでも門弟の上達を遅くし、月謝・会費をできるだけたくさんみつがせたい」とか、「支部や会員をじゃんじゃん増やし、お布施で楽に暮らしたい」、などという明確かつ邪悪な目的があるならば、それはそれで意図的に後進の上達を阻害することも、私利私欲という「理」にはかなっているといえよう(笑)。

 もちろん手裏剣術を愛する者の一員として、私は、そんな不届き者は日本の手裏剣術界には存在しないと信じているが。


 ではここで、実に簡単な疑義を挙げてみよう。

 仮に剣術や居合・抜刀術と手裏剣術の動き(体動)が、本質的に同じであるとする。

 ならば、すでに剣術や居合・抜刀術に十分熟練した者であれば、手裏剣術も容易に習得できるはずである。なにしろ「本質的に同じ動き」に習熟しているのだから!

 3日も稽古すれば、直打で3間や4間は通せて当然ではないだろうか? 3日ではきつい? ならば3ヶ月でもいい。3間や4間を直打で通して、あるいは通させてあげてごらんなさい。

 ところが実際には、従来の稽古法や指導法、剣では、剣術や居合・抜刀術の熟練者であっても、3~4間程度の直打(5間とか7間ではない!)ができるようになるまで、2年や3年かかるのはざらである。それどころか、場合によっては4年も5年もかかるケースもまれではない!

 私が直接見ている範囲だけでも、剣術や居合・抜刀術の指導員や師範クラス、稽古歴10年以上の武術・武道人が、直打で3間を通すのに2年も3年もかかっている実例を見ている。

 これこそ、剣術や居合・抜刀術と手裏剣術の体動は、本質的に異なっているという事実の証明となろう。

 ゆえに、剣術や居合の上達には剣術や居合の上達のための稽古体系(理論と実践)が必要であり、手裏剣術の上達には手裏剣術の上達ための稽古体系が必要であり、剣術や居合と手裏剣術を併用するためには併用するための稽古体系が必要なのである。

 この大原則を、今現在、手裏剣術を志している人は、絶対に忘れないでいただきたい。


 では、さらにもう1つ、疑義を示そう。

 仮に剣術や居合・抜刀術と手裏剣術の動きが、本質的に同じであるとする。

 ならば、すでに手裏剣術に十分熟練した者であれば、剣術や居合・抜刀術も容易に習得できるはずであろう。なにしろ「本質的に同じ動き」に習熟しているのだから!

 半年や1年で、目録くらいの業前になって当然なのでは? しかし、実際のところは・・・?

 答えるまでもない・・・、絶対に無理である。

 どんな手裏剣術の名人でも、その人が剣術や居合・抜刀術を学んだことがなければ、目録レベル、つまり指導員や師範代程度の腕前になるには、当然ながら改めて手裏剣とは別に、剣術や居合・抜刀術を5年や10年稽古しなければ無理なことは、言うまでもない。

 以上、2つの疑義・反証でも、「剣術=手裏剣術同質論」が、論理的にも現実的にも、破綻していることが分かるであろう。


 いずれにしても、古くから流布されている「剣術=手裏剣術同質論」が、手裏剣術の技術習得をかえって難しくし、結果としてそれが、斯術の発展や普及を阻害してきた大きな要因の1つになっていることは間違いない。

 だからこそ、我々、伝統や伝承といったものから自由な立場にある現代手裏剣術家は、主観的で疑似(エセ)科学的な「剣術=手裏剣術同質論」という誤謬に惑わされることなく、客観的で論理的、そして科学的で実践的な、言い換えれば再現可能性をきちんと担保した、現代手裏剣術としての技術論と上達論に基づいて自分自身の業前を高めると同時に、斯術を愛好する後進の指導にも、十分に留意してゆかねばならないのである。

 それが結果として、手裏剣術というこのすばらしく魅力的で独特な武術を、古の時代から脈々と伝え受け継いでこられた、数多くの先人への恩返しになるのだと、私は確信している。

(了)
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