新春雑記~あるいは3人の酔っ払い/(身辺雑記)
- 2010/01/11(Mon) -
 今年はやや短めだった年末年始。

 30日から年が明けて3日までは、炬燵でひとり、のんびりと杯を傾けながら、映画鑑賞と読書三昧の日々であった。

 こんな時期だからこそと思い、改めてじっくり読んだのは、岩波の『尾崎放哉句集』。これは2007年、新たに編集された版で、従来から知られている句のほか、平成8(1996)年に、荻原井泉水の物置小屋から発見された句稿からも多くの句が収められている。

放哉
▲『尾崎放哉句集 』(池内 紀 編/岩波文庫)


 私としては、本書では放哉の句もさることながら、巻末に収められている「入庵雑記」と題された随筆を、たいへん興味深く、また味わい深く読むことができた。

 この雑記は、放哉が小豆島で亡くなる最晩年、死の数ヶ月前に記されたものだ。

 島の小庵で死を覚悟し、またそれを望みながら日常をひっそりと生きる放哉の、閑寂で透明感あふれる身辺雑記である。

 同じ自由律俳句の巨匠であり、生涯を放浪と酒で彩った山頭火も、俳句はもちろんその酔いどれ日記がじつに人間くさく、また日々の暮らしの底に流れる「ダメ人間」としてのわびしさが、たいへん味わい深いものだ。

山頭火
▲『山頭火句集』 (村上 護 編/ちくま文庫)


 放哉と山頭火は同時代を生きた俳人であり、またその生涯にも共通点が多い。

 両人ともに、酒と若き日の傷心で身を持ち崩したインテリである。また山頭火の行乞の旅は有名だが、放哉もまた、その人生で多く旅をしており、いずれも一所不在の暮らしの末、故郷と離れた地で客死した。

 ただし山頭火が、句会で人々が集まった部屋の隣で、いつものように泥酔し、そのまま寝込んだ末、翌朝には脳溢血で死んでいたという、ある意味で、私のような大酒呑みの酔っ払いには「理想的な死に方」であったのに対し、放哉は貧困の末の栄養障害が持病を悪化させ、近所の漁師夫婦に看取られながら、静かに亡くなったという。


 酒と旅と温泉をこよなく愛し、「いつも通り」の泥酔の末に往生した聖なる酔っ払い、種田山頭火。

 かなわぬ恋と酒で人生を踏み外し、小庵でひっそりと松籟や虫の音を聞く静かな日々を愛した尾崎放哉。


 隠逸の暮らしに憧れつつ、旅と酒と湯、そして武術・武道という道楽から逃れられない、ひとり法師の流れ武芸者としては、2人の俳人の「死に様」は他人事ではなく、そしてまたある種、理想の姿でもある。

 この新春は、そんなことをつらつらと考えながら、ひとり静かに一杯また一杯と、杯を重ねる日々であった。

 (了)
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