フィクションとノンフィクション/(武術・武道)
- 2010/03/23(Tue) -
 過日、最近、時代小説やテレビの時代劇にはまり始めたのだという、カメラマン氏との世間話。

「この前、●●流という古流剣術の動画というのをはじめてみたんですが、市村さんみたことあります?」
「う~ん、youtubeに出てる、△△が××で、◎◎しているやつかな」
「そうそう、それですよ」
「なら、見たことありますよ」
「あれって、見る人が分かりやすいように、ゆっくりやってるんですよね」
「いや、あれが普通の速さだと思いますよ」
「へ~、ずいぶんゆっくりなんですね」
「いやいや、だって刀って抜き身で重さ1キロとかあるんですよ。それを振り回すんですから。バットだって重くて800グラム、一般的な木刀が500~600グラムですからね。しかも、その重さで長さが1メートル以上もあるんですから、重さとバランスを考えても、そんなにビュンビュン振り回せませんって」
「いや、でも時代劇なんかだと・・・」
「あれは竹光ですから」
「タケミツって?」
「ようは外側は本物の刀と一緒だけど、刀身は竹に銀紙みたいなのを張ってあるんですよ。だから正確な重さは知らないけれど、たぶん200グラムとか300グラムとかじゃないですかね」
「へ~、そんなに軽いんだ」

 当たり前のことだが、一般の人の剣術や居合・抜刀術のイメージというのは、テレビや映画の時代劇からのものであろうし、それから考えれば、木太刀を使った形にせよ試物を使った斬りの稽古の様子でも、ずいぶん「ゆっくり」に見えるのであろう。

 その昔、ある役者さんに聞いたことがあるが、お芝居の世界では、「軽い刀をいかに重く見せるか?」が立ち回り(殺陣:たて)のツボだという。一方でわれわれ武術・武道人は、「重たい刀をいかに軽やかに遣うか?」が重要であり、目的がまったく正反対なのである。

 また、お芝居の立ち回りでは、派手で見栄えよく格好のよい動きが求められるわけだが、武術としての動きはシンプルで目立たず地味なほど良い。飛んだり跳ねたりするよりも、スッと出てピタッと抑えるような動きがよりベストなわけだ。


 このように、フィクションとノンフィクションの世界では、条件も求める点もまったく正反対なわけなのだが、どうもこのあたりを混同してしまう人がたまにいる。

 小説などでも、池波正太郎や藤沢周平などは、ほとんど武術的には無知なのだけれど、その描写は緊張感とリアリティにあふれている。一方で、中途半端に武術・武道をかじっている作者の作品ほど、その立ち回りの描写がクドクドとして読みにくいものだ。

 誰とは言わないが(笑)。

 そういう意味で私は、時代劇で鯉口を切るときに「カチッ」っと音がしたり、抜刀するときに「シャー」という金属音がしたり、鍔鳴りがしたりするのも、お芝居の上の演出としてありだと思う。これらはすべて、現実にはありえない音なのであるが。

 観念としてのリアリティと、現実世界のリアリティは別なのだ。

 一方で、いっぱしの武術・武道人が、芝居の殺陣を真に受けて飛んだり跳ねたり転がったりしたり、あるいは無様に体勢を崩しまくって試物(しかも芯の竹も入っていない、単なる畳表)をすぱすぱ輪切りにして悦に入っているのを見たりすると、武術・武道の末席を占める者として暗澹たる気持ちになるのもまた事実である。


 ひと様に見ていただく芸と、練磨すべき武技とはまったく別物である。

 このことを、忘れずにいたいものだ。

(了)
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