刀法併用手裏剣術と心法~斬りの稽古の所感から
- 2010/05/28(Fri) -
 戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会での、斬りの稽古における所感その2。

 前回は刀法併用手裏剣術における間合の問題を述べたが、もう1つの問題は、意識=心法面の問題である。

 平素、われわれ手裏剣術者は、こと打剣についてはごまかしの利かない厳しい稽古を日常的に行っている。この辺りの「デフォルトの真剣味」に関しては、手裏剣術者は他の武術・武道に比しても、多いに自負と誇りを持ってよいと思う。なにしろ、先生だろうが生徒だろうが、刺さるか刺さらないかが、一目瞭然の稽古を普段からしているのだ、われわれは。

 一方で、手裏剣術の稽古で刀法を併用する場合は、平素の稽古では、刀では想定上の相手を斬っているに過ぎない。

 ここに、緊張感の欠如がある。

 実際に、刀でも試物を斬り、手裏剣も打つとなると、「斬る」と「打つ」の両方に、十二分に意識を集中しなければならないのだが、これがまた、容易ではないのである。

 「打つ」だけ、「斬る」だけでも、相当の集中力が必要であるのに、これを連続して行う。

 しかも「斬り」の運動体系と「打ち」の運動体系という、まったく異なる動きを、一連の形として同時・連続して行うのだ。

 実際のところ今回の稽古では、刀法併用手裏剣術の形を行じていても、最後まで斬撃と打剣との間で意識が分断していたことが否めない。

 これは、経験を積むことで意識の断絶の度合いを狭めていくしかないのだろうが、当庵では普段から斬りの稽古ができないので、そこが稽古上のネックであるといえよう。


 なお、ここで1つ申し添えておくと、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会では、刃引きの真剣で、手首大以上の青竹を一刀両断するという、たいへん厳しい条件での稽古を行っていらっしゃる。

 刃が付けられた真剣であれば、多少刀勢が弱くとも、あるいは刃筋が少しずれてもごまかしが利くのだが、刃のつけられていない刃引きの真剣だけに、また試物が十分な太さの竹だけに、強力な刀勢と正確な刃筋、十分な体勢の維持としっかりとした軸の確立ができていなければ、見事に試物を両断することはできないのである。

 この点こそが、すかすかの芯なし畳表を、重ねの薄い刃付きの真剣でスパスパ切って悦にひたっているようなノンキな試斬屋と、武術・武道としての厳しい稽古を行じている本物の抜刀術家との違いであろう。

 このように非常に厳しい条件での斬りだけに、なおさら刀法と手裏剣を併用する際に意識の途絶が激しくなるのだが、逆に言えばここで心法的にも十分に運用できる刀法併用手裏剣術が実現できれば、それは武術として通用する刀法併用手裏剣術に、また一歩近づいたこととなるであろう。

 いずれにしても、実際に斬り、実際に打つ稽古は、刀法併用手裏剣術を含む現代手裏剣術を志す手裏剣術者には、必須の稽古である。


 末尾ながら、今回、このような貴重な稽古の機会を提供してくださった、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会代表の棚田様には、改めてお礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 市村 拝
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