君が武術を志すのであれば・・・/(武術・武道)
- 2010/10/02(Sat) -
 これから出会う異国の剣士である君へ、あらかじめ私の想いを記しておこう。


 本来、剣術や居合・抜刀術の稽古においては、「形」と「斬り(の稽古)」は、車の両輪である。

 しかしながら、その割合は、けして5:5というものである必要はない。

 私自身は経験的に、形稽古8割:斬り2割程度で十分ではないかと思っている。


 自分の経験を振り返ってみると、初めて抜刀術を指導していただいた13歳から、39歳になるまでの26年間で斬りの稽古は1回だけしかやっていなかった。それも、親指ほどの姫竹を、適当に袈裟で数回斬っただけである。

 その後、数年前から戸山流のT先生にご厚誼をいただいたことから、昨年来、年に1~2回、同先生の検分の元、斬りの稽古をさせていただいている。

 そこで実感したのは、

「普段から正しい形稽古をしておれば、ことさら試し斬りに執着しなくても、武術として必要最低限は斬れる」

 ということである。

 実際のところ、私は26年間で1回しか試斬をしたことがなかったにもかかわらず、しかもその1回は24年前に刃のついた刀で親指ほどの太さの姫竹を斬っただけにも関わらず、流儀の形通りの動きで、しかも刃を引いた本身で、手首大の太さの竹を両断することができた。

 もちろんこれは、戸山流の遣い手であるT先生のご助言あればこそではあったのだが。


 ここで私が強調したいのは、

 武術としての剣術・居合・抜刀術を稽古したいのであれば、ことらさ試し斬りの稽古にこだわる必要はない。

 普段から正しい形稽古を中心とし、斬りの稽古はあくまでも補助的にするべきである。

 具体的には、形稽古8~9:斬りの稽古2~1で十分であろう


 ということである。


 もちろん、現代の日本は自由の国であるから、日本刀の斬りという行為の可能性の限界に挑みたいという方の、意図や行為を批判するつもりはない。

 やりたい事を自由にやれば良いし、限定的な局面での技術の追求は、スポーツとしてたいへん有意義であろうかと思う。

 しかし、本来的に対人攻防である”武術”としての剣術や居合・抜刀術を稽古したいのであれば、斬りに特化した稽古は、無意味とはいわないが、合理的で効率的な稽古ではない。

 なぜなら、人生の時間は限られているからである。

 限られた時間の9割を固定された試物の斬りの稽古だけに使った者と、同じ時間を形や撃剣の稽古に使ったものが、実際に立ち合った場合、結果はどうなるか?

 みなまで言う必要もないであろう。

 だからこそ古来から、対人攻防を目的とした剣術や居合・抜刀術と、静止した物体を専門に斬る据物斬りは、流儀としても武芸としても、別のものとして区別されてきたのである。

 ゆえに自身が、静止物をいかに見事にそして精妙に斬るのかを追求したいのであれば、存分に試し斬りの稽古をすればよい。そこでは、名刺斬りやカード斬り、畳表の多数斬りなどなど、さまざまな課題があるであろうし、それらを見事にやり遂げる努力と技術を、私は否定はしない。

 しかし、自由な意志を持ち、喜怒哀楽の感情を有した人間同士が、剣という武具を持って立ち合うための技術=武術である剣術や剣道、居合術や居合道、抜刀術を学びたいのであれば、斬りの稽古以前に、やらねばならない稽古が山のようにあるのだ。

 相手と対峙した際の「先」、さまざま相手との「拍子」、目に見えない武器となる「位」、千変万化する「間合」、理合の通りにはことが運ばない「崩れ」への対応、そして「残心」・・・・。

 こうした対人攻防には必須の、そして武術には欠かす事のできないイロハは、試し斬りの稽古だけでは学ぶことができないのだ。

 私個人は、固定していない畳表が何回斬れるとか、名刺やカードなどの極薄ものが両断できるなどといったことについては、「すごいなあ」とは思うけれど、武術人としては、あまり意味を感じない。

 畳表は、刀に刃がついていればだれでも斬れるものだし、固定してあろうがしていなかろうが、斬り返しで2~3回も斬れれば十分であろう。

 極薄のものが斬れる刃筋の正確さはたいしたものだが、動き回る人間を相手にする場合は、手首の太さが正確に斬れればそれで十分である。首や大腿部は、手首よりもはるかに太い。

 ゆえに、畳表の多数斬りや、極うすのカード斬りを稽古するする暇があれば、受け流しや摺り上げ、切落や勝太刀、入り身や寄り身、抜きや見切りの稽古、つまり形稽古を入念にするべきである!

 だから君が据物斬り家ではなく、武術家を志すのであれば、相対形でも単独形でも、とにかく形をしっかりと稽古しなさい。

 そして形稽古の補完として、撓打ちや撃剣など自由攻防の稽古も、若い間に十分に体験しておきなさい。

 その代わり、斬りの稽古は年に数回でもかまわない。積極的にやるにしても、月に1回の稽古で十分だ。

 
 こうした思想で、私はまだ見ぬ君を迎えようと思う。

 君が少しでも武術としての何かを感じてくれれば、私はこの上なくうれしく思う。


 市村翠雨 謹識

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