座技再考/(書評)
- 2010/11/19(Fri) -
 正座というのは、武術・武道人にとってはなじみ深いものだ。

 というわけで、丁 宗鐵著『正座と日本人』(講談社)を読んだ。

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 医師であり、茶道や柔道にも造詣のある著者は、生理学的な、あるいは歴史的な視点から正座という行為を考察。結果としてそれは、実は明治以降の日本の近代化の中で作り上げられた、比較的新しい国民体育としての具体的な身体イメージだと指摘する。

 武術・武道の世界では、居合・抜刀術でも柔術でも、いわゆる正座は近代前後に普及した身体の使い方であり、古い伝統を誇る流儀では、「居合腰」と呼ばれる胡坐と正座の中間的な座り方で稽古するところが少なくない。

 こうした観点からも、本書の正座に対する歴史的考察は非常に興味深く読むことができた。

 また著者が医師の立場から指摘する、正座という行為の、生理学的なメリット・デメリットについての解説も、なるほどと思えるものであった。

 
 さて、武術・武道人として個人的に思うのは、正座にせよ居合腰にせよ、座技の稽古というのはきわめて日本的な業であり稽古法であるということだ。

 古今東西、世界広しといえども、制敵・格闘の技を座って行う、しかもそれを体系化して教習し、伝承してきたのは日本武術・武道のみであろう。

 これは、「屋内では靴を脱いで座る」という、日本の生活習慣と文化あってのものなのは明白だ。

 さらにテクニカルなことを言えば、居合・抜刀術にせよ柔術にせよ、座技の稽古というのは、立技にくらべるとかなり狭いスペースでも稽古が可能である。この点で、日本特有の住環境や建築文化も深くかかわっているのは言うまでもない。

 また、正座あるいは居合腰から始まる動き(形)は、腰や下肢への負荷、つまり鍛錬効果も高く、技の運用や身体の使い方としても、立技にくらべてさまざまな生理学的制約と難しさがあり、それが稽古になるのである。

 こうした点で、安易な「座技無用論」については、私は反対の立場をとる。


 さて手裏剣術においては、座打ちは運足や全身の統一した力に頼る打剣ができないゆえに、手之内や手離れ、腕の振りといった、手裏剣術独自の核心的で微細な技術について、より明確に理解・習得ができるというメリットがある。

 このため翠月庵では、初学者にはまず三間の座打ちから稽古を始めてもらう。

 また私自身も、打剣に迷いを生じた際などは、改めて座打ちに立ち戻ることが少なくない。


 本書を読んで、「座る」という日本文化特有の行為について、武術・武道の観点からも、あらためて考察する価値があると感じることができた。

 武術・武道関係者には、ぜひ一読をすすめたい。

(了)

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