武芸徒然草/(身辺雑記)
- 2011/03/01(Tue) -
 梅も満開だというにの、多忙のループにはまり込んでいる・・・。

 ことに昨年から、問題先送りにしていたビジネス本の仕事が重くのしかかり、新聞の医療記事取材の段取りやら、ルーチンのネットサイトの観光記事の執筆などがどんどん先送りにされていく。

 しかし、締め切りは変らない。つまり、真綿でどんどん首が絞められていて、現時点ではさながら袖車絞めで、半ば落ちつつあるという感じだ。

 一方で、こんなに忙しいのに、財布の中身は素寒貧である。

 3月の家賃を払ったら、もう焼き鳥も食いにいけないではないか!

 20代の貧乏には夢があるが、40代の貧乏は単なる甲斐性なしである・・・。

   *  *  *  *  *  *  *  *

 今年のオスカー作品賞は『英国王のスピーチ』であった。

 実は先月、とある新聞記事の仕事で、吃音の取材をした際、言語聴覚士(ST)の先生から、ぜひ見てくださいといわれたのが、この映画であった。

 さらに実をいうと、私は子供のときから、少しどもりがある。

 普段はまったくどもらないのだけれど、疲れていたり、エキサイトしたり、プレッシャーがかかると、言葉のはじめでつっかえたり、語尾のろれつがうまく回らなくなってしまうのである。

 ちなみに、昨日の稽古でも、剣術の指導をしていて熱くなってしまい、説明の際、語尾がへろへろになってしまって、指導を受けていたYさんは、さぞかしわかりにくかったかと思う。

  ま、武術の技なんで、あとは体で覚えてください(爆)。

 感覚としては、頭で考えて発声しようとする情報量に、実際の発声という行為が追いつかない状態といったら、わかりやすいだろうか。

 そんな私でも、かれこれ20年近く、インタビュー取材の仕事を中心にしてメシが食えてきたのだから、世の中、なんとかなるもんだ。

 どもりというのは、いまだに原因は良くわかっていないらしい。一方で、子供の時のどもりというのは、その多くが自然に治癒するという。

 仮に、自然治癒しない吃音でも、大切なことは、本人が落ち着いて話すことができる環境を、周りの大人が作ってあげることだという。

 なにはともあれ、『英国王のスピーチ』は、見てみたいなと思う。

   *  *  *  *  *  *  *  *

 『柳宗悦茶道論集』と、井伊直弼の『茶湯一会集・閑夜茶話』を続けて読む。

 どちらも、己の是とする茶道論にたって、健全な批判精神を発揮していることが、読んでいて心地よい。

 ことに柳宗悦の『「茶」の病い』と題した一文は、茶道ではアンタッチャブルと化している宗家制度や、千家の世襲問題にまで踏み込んで、その弊害を一刀両断した、実に痛快な一文であった。

 思えば武術・武道界を見ても、金儲け第一主義のインチキじみた自己啓発セミナーや、指導者を神のごとくあがめる破壊的カルトと化しつつある、一部の指導者と彼らに洗脳された信者たちには、まったく同じ「病い」が当てはまるのだなあと、しみじみ思う・・・。



「点茶心指」 柳宗悦

一フクマイラス

捨テ身ナル聖へ
僧堂ノ行者ヘ
心澄メル比丘尼ヘ
求道ノ居士ヘ
貧シキ道友ヘ
老イタル佳人ヘ
素直ナル若人ヘ
心篤キ娘子ヘ
媚ビザル主ヘ
ツマシキ田舎人ヘ

一フクマイラスナ

金ボコリニハ
エセ宗匠ニハ
青白キ茶坊主ニハ
巧者ブル小茶人ニハ
溺ルル茶数寄ニハ
物見エヌ物狂ヒニハ
高ブル学士ニハ
派手ナル女房ニハ
欲深キ商人ニハ
ヘツラヘル輩ニハ


 「点茶心指」は柳宗悦の座右の銘であったという。

 「一フクマイラス」を「一手ゴ指南」と言い換えて、また「一フクマイラスナ」を「一手ノゴ指南モ無用」と言い換えれば、武芸の世界もそのとおりと、思わず膝を打ちたくなる箴言だ。

(了)

スポンサーサイト
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
| メイン |