穀雨夜話/(身辺雑記)
- 2011/04/20(Wed) -
 穀雨。

 春の柔らかい雨が大地に染み、芽吹きの時を迎える時期。

 しかしその雨に、いまのところ無害なレベルとはいえ、本来あるべき量以上の見えない何かが含まれているかと思うと、素直に春の雨を喜ぶこともできない。


 3.11以降、ある意味でまったく変わってしまった世界、否、変わらねばならないことを突きつけられた世界の中で、思うことはいろいろとあるのだが、一方でそれは言い尽くされてもいるわけで、私のような市井の武辺者がとやかくいうことでもあるまいとも思う。

 1つだけ言える事は、武力を制御できない者に武技を授けてはならないのと同じように、制御できない力を我々は弄び、依存しすぎてきたという事実であろう。


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 翠月剣を使った打剣。

 ここしばらくは、従来の逆体に加え、知新流系の順体送り足での打剣、真鋭流系の順体歩み足での打剣、以上3種の、順・逆・歩、それぞれの打ち方で、3間尺的に、比較的良好な打剣をコンスタントに実現できるようになってきた。

 手裏剣術が武芸である以上、定置での打剣はあくまでも基本でしかなく(ゆえに重要であるのだが)、実際に運足を用いながら、的確な打剣をコンスタントに実現できねばならない。

 運足を用いない手裏剣術は、型を放棄した据物斬りとまったく同じである。

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 どのような技芸にしろ、おもてにあらわれる基本の動作は単純なものである。

 だが、ちから充ちて、技が熟すにしたがい、これらの動作の反復をさぐればさぐるほど深さに切りがなくなる。

 矢を放って的を射るという一事に、人間の精神と肉体の高揚が無限に発揮されねばならぬ。

 それを追いもとめることへの情熱は、他のどのような仕業にもあてはまることだといえよう。

                                            (池波正太郎)



 
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