当身の指導/(武術・武道)
- 2011/06/19(Sun) -
 本日は会員のA君が、1ヶ月ほど遠方に出かけるということで、武芸者の嗜みのひとつとして、柔術系の当身について少々解説し、稽古をしてもらった。

 言うまでもないことだが、当庵の表芸は手裏剣術である。

 とはいえ武芸者たるもの、表芸だけしか知らないでは芸がない。芸がない武芸者は、たんなる橙武者である。

 
 柔術の当身といっても、その形態や遣い方は、それこそ流儀によって千差万別だ。

 しかし総じて日本柔術においては、一部の特殊な技や、特異的な流儀を除けば、基本的に当身は投げや逆、固めにつなげるための「仮当て」が中心となる。もちろん、一打必倒を旨とした「本当て」もあるわけだが、打撃による生理的な破壊を目的とする拳法や空手道の当身と違い、日本柔術ではそれがメインとはならない。
 

 今回、A君に指導したのは、柔らかく握った拳による稲妻・月影の当て。裏拳による人中の当て。拳・体当たり(肩による当て)による壇中・水月の当てである。

 稲妻・月影の当てでは、柔らかく握り込んだ拳の指の第二関節部分から左右の脇腹に当てる。空手道の突きのように捻り込まず、自然体で体側に自然に腕を下ろしている状態から、一気に腰を切って一文字腰となり、腰の切れと体幹の移動をあわせた“統一力”を拳に集中させて当てるのがコツである。運用としては対の先で、相手の起こりを捉えた拍子で当てると、仮当てとはいえ一打必倒の威力がある。

 裏拳による人中の当ても、拳は柔らかく握る。スナップを効かせながら、やはり腰のキレと体幹の移動を統合し、“統一力”として裏拳部分に威力を集中させなければならない。

 壇中・水月の当てでは、上記のような拳での当ての他、入り身して体当たりを行う業もある。この入り身しての壇中・水月への体当たりは、実は私が稽古した古流剣術の中の隠し業であり、その昔、よく兄弟子にこれで吹っ飛ばされたものだ。

 おかげで自分自身の得意技にすることができたわけだが、そのために何度本当に泥をなめたことか・・・。今となっては、青春時代の懐かしい思い出である。ちなみに、同じ体当たりの当てでも、壇中への当ては骨が軋むような電撃的な激痛となるが、水月の当ての場合は呼吸困難でのた打ち回るような激痛である。

 これは、実際に食らった者しか分からない違いだ(笑)。


 では入り身しての体当たりは、具体的にはどのように行うのか?

 これは流儀の業になってしまうので詳細は当庵での実伝のみとさせてもらうが、最も一般的で分かりやすい古典の解説を引用しておく。

-以下、引用-

一 身のあたりと云事。
身のあたりハ、敵のきはへ入込て、
身にて敵にあたる心也。
すこし我顔をそばめ、わが左の肩を出し、
敵の胸にあたる也。
我身を、いかほども強くなり、あたる事、
いきあひ拍子にて、はづむ心に入べし。
此入事、入ならひ得てハ、
敵二間も三間もはけのく程、強きもの也。
敵死入ほども、あたる也。
能々鍛錬有べし。

(現代語訳)
一 身の当りという事

 身の当り〔体当たり〕は、敵のそばへ入り込んで、体で敵にぶつかるということである。

(この体当たりは)少し顔をそむけ、左の肩を出して、敵の胸にぶつかるのである。我が身をできるだけ強固な感じにして、(そして)ぶつかるには、行きあい拍子〔いきなりという調子〕で、弾じけるような感じで入ること。

 この入り方を習得できれば、敵が二間も三間もぶっ飛ぶほど強いものである。敵が死んでしまうほどの衝撃でぶつかるのである。よくよく鍛練あるべし。

 出典:「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈」(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」ホームページhttp://www.geocities.jp/themusasi1/index.htmlより)

-引用、終わり-

 体当たりの際にも、腰の切れと一文字腰、体幹の移動による“統一力”が重要になる。

 これら当身の威力となる全身の力の統一は、根源的には手裏剣の打剣の威力にも通じるものである。

 ただしそれはあくまでも形而上における共通点であり、現象としてはそれぞれ個別に異なる運動(動作)となることは、これまで「剣術と手裏剣術の非同質論」などで、たびたび指摘してきた。

 これを安易に「形而上でも形而下でも共通」と捉えてしまうと、他者へ伝承が不能、つまり再現性を持たない自己満足な空論に陥ってしまうので、十分に注意をされたい。

 武術・武道では、自分でできるのは当たり前。それを他者に伝えて習得させることができて、はじめて一人前の武術・武道人なのである。

(了)
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