月に吠える/(手裏剣術)
- 2011/09/13(Tue) -
~月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面(ぢべた)に生きてゐるものは悲しい(北原白秋)~

 萩原朔太郎『月に吠える』序文より

 *  *  *  *  *  *  *  *

 過日、人づてに聞いた話しなのだが、他流の高段者が、「手裏剣なんて、簡単」と語っていたとか、いないとか。

 む~ん、さて参りましたな・・・(笑)。

 ま、結論から先に言うと、

 「そんなに簡単にゃあ、打てねえよ」

 という事である。

 なぜなら、

 「武芸として通用する手裏剣術であるためには、最低限、三間(約5.4メートル)から棒手裏剣を直打で、尺的に対して3本に1本以上、十分な威力を持って的中させる業前が必要」

 だからだ。


 翠月庵の売り物のひとつは、手裏剣術の速習にある。

 武術・武道経験のまったく無い人でも、稽古初日から三間で1~2本は直打で刺中させることができるように指導している。

 これは、ひとえに当庵の打剣理論の基本が、無冥流の重心理論に基づいているからであり、棒手裏剣を直打で打って三間を通すには、通常、数年はかかるのが一般的だ。

 常識的には、やっとうや体術の高段者であっても、それまで手裏剣術の稽古をしていない者が、いきなり直打で三間を通すことが出来る確率は、偶然以外、ほぼゼロといって良いかと思う。

 ましてや三間直打で、顔面を想定した尺的に打剣を集め、なおかつ人体に有効な程度の殺傷力を発揮できる威力(速度)を持って手裏剣を打つには、どんなに才能がある者でも数年以上の修練が必要だ。

 それどころか、一~二間から距離が伸びず、稽古を断念してしまう人も少なくないのである。

 半間や一間程度の間合いで手裏剣が刺せたとしても、その程度では到底、武術としての手裏剣術とはいえない。

 考えてみれば、昔はちびっ子たちが五寸釘で釘刺しをして遊んでいたくらいだから、半間や一間程度の直打など、ある意味、お遊びレベルにすぎないのである。

 (もっとも一方では、一間以内での必死必中の打剣は、「蟹目の大事」と言われるように手裏剣術の極意でもあるのだが・・・)


 それではなぜ、「手裏剣なんて簡単さ」と思われてしまったのか?

 市村おもえらく、

 1 車剣(忍者が使うギザギザのやつネ)を使うことが前提だった
 2 見た目、簡単そうだ
 4 単なる戯言・・・

 などの理由が考えられる。

 実際、飛刀術なども、剣術や居合・抜刀術、剣道などの経験がある人の場合、見た目、二間までなら簡単にできるように思えるらしい。

 しかし実際には、ほとんどの人がせいぜい一間くらいまでしか通すことができない。

 ところが、飛刀術が武術的に威力を発揮する間合は、一間半~二間半であり、この間合では、普段から飛刀術の稽古をしていない者は、まず対象に剣を的中させることができないのである。


 私個人としては、これまでは必要以上に手裏剣術の難しさをアピールするつもりはなかった。むしろ、当庵の特色として速習を強調するために、また斯術の敷居を下げるために、「手裏剣術は、そんなに難しいものではありません」という意味合いのアピールに努めてきた。

 が、しかし・・・。

 本当に正直なところを言えば、手裏剣術というのは嫌になるくらい難しい武芸である。

 これは手裏剣術を本気で稽古している人であれば、だれもが皆、1度は感じる思いなのではなかろうか。

 それほどこの道は難しく、稽古する者にとって厄介な武芸なのだ。

 ゆえに古来から、多くの先人たちが、いかに簡単に的中させるかについて、打ち方から形状まで、さまざまな工夫と修練を積み重ねてきたのである。


 あまり難しさをアピールするのも、逆説的な自慢みたいでいやなので、ここらで筆を納めるけれども、やはり「簡単」呼ばわりさせるのは、手裏剣術者としていささか心外である。

 ま、実際にきちんと手裏剣(忍者が使う、ぎざぎざのじゃないヤツね)を打って稽古をしてみれば、斯術の難しさと奥深さ、そしてなんとも言えない楽しさが分かってもらえるであろう。

(了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
| メイン |