打剣と掛け声/(手裏剣術)
- 2012/09/16(Sun) -
 武芸において、「気合」というものは欠かすことのできないものである。

 そして「気合」の初歩的な形態が、「掛け声」だ。

 古人は掛け声について、どう伝えているのか?

 孫引きだが小佐野淳先生著『図説 武術辞典』では、『剣法幼学伝授』窪田清音著から、掛け声について、次のように引用している。


 声は勢を増し、あるいは気をも取るものなれば、必ず掛くべきものなり。声と共に技を掛くれば太刀にも力が加わり、外見にもその勢の勇ましく思わるるものなり。また彼構えたるとき、声を掛くれば彼その声に依りて動くものなり。また我のおくるるに非れども彼の構えを正しくして進み難きとき声をかけて出ずれば進むこと得べし。


 さらに同書では、野間恒著『剣道読本』からも、掛け声の効用として以下の項目を挙げている。


  一、自分自身の気分を励ます。
  二、自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる。
  三、相手に威力を感じさせる。
  四、相手の気の起りを挫く。
  五、相手を迷わせる。
  六、相手を誘う。
  七、相手を苛立たせる。
  八、相手を驚かせる。
  九、勝を知らせる。


 このように武芸においては、気合(掛け声)は、実体をもった技として認識されている。

 一方で、気合の中でも掛け声=「有声の気合」はあくまでも初学の者の心得であり、中級から上級者になるにつれて、気合は「無声」となっていくことも、覚えておかねばならない。


 さて、こうしたなかで武術としての手裏剣術を考えて見ると、当然なが、そこには「気合」に関する教えと技がなければならないのだが、私は日本の手裏剣術において、「気合」の有無やその効能・効果についての論評や意見などを、これまでまったく聞いたことがない。

 これは、なぜなのだろうか?

 思うに、本ブログでもたびたび指摘しているが、本来、武術としての手裏剣術は、すでに剣術や柔術など、なんらかの武芸に通達した者が学ぶ「併習武術」であり、ゆえにことさら改めて、気合や掛け声について、教える必要がなかったからではなかろうか。

 また、近代における手裏剣術の中心となった根岸流が、その手裏剣術の考え方を「心は剣術、形は弓術」としたことも、何らかの影響があったかもしれない(一般的に、弓術・弓道に「有声の気合」はない)。

 しかし手裏剣術という武芸を、「形を変えた、剣術の一形態」として捉えるのであれば、当然ながらそこには「気合」という理合=業が存在せねばならず、それを学ぶことは必須である。


 そこで昨日の稽古では、有声の気合を掛けての打剣に取り組んでみた。その際、上記の『剣道読本』の教えにあるように、まず「二、自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる。」という点で、手裏剣術における打剣の際の掛け声は、有用なように感じられた。

 また打剣時の、精神的な集中を促すという点でも、掛け声は有効なのではないかと推測できる。さらに手裏剣術においても、地稽古などの場になれば、気合の効用が大きく活用できることは言うまでもない。


 これまで手裏剣術者が、「気合」について論じ、検討した前例がないだけに、このテーマについては、今後も検討を続けていこうと思う。

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 (了)
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