冥府魔道の業/(手裏剣術)
- 2012/10/21(Sun) -
 以前、ある他流師範の武友に、飛刀術を解説・指導させていただいたところ、

「どうも、刀を投げるというのは抵抗があるのです・・・」

 とのご感想をいただいた。

 おそらくこれは、まっとうに稽古してきた武術・武道人であれば、当然の感覚であろうかと思う。

 私自身も、いまだにそう感じる部分はある。

 なにしろ、日本刀というのは、「惟神の霊器である!」と躾けられるのが、現代日本のまっとうな武術・武道人なのだ。


 一方で手裏剣術は、合戦の場や真剣勝負の立ち合いにおいて、脇差や短刀、場合によっては打刀を「手裏剣に打つ」、つまり相手に投げつけることからはじまったというのも、歴史上の事実である。

 孫子の「兵は詭道なり」との箴言を持ち出すまでもなく、ありえないことだと相手が思っているからこそ、それはときに、有効な戦略・戦術になるのである。

 ア・プリオリに、「刀(脇差)を投げたりはしない」と思い込んでいる相手だからこそ、抜刀して立ち合っている際に一足一刀の間合外では、「いまだ間積もりが遠い」と思っているわけで、そこで打刀なり脇差なりを手裏剣に打つことで、飛刀術は「対抗不能性」を持つわけだ。


 さて武術というのは、勝つための手段(勝口)の集大成であるからして、こうした「対抗不能性」を持つ技を、往時のサバイバーな戦闘階級たる「侍」が、忌避するわけもない。

 ゆえに脇差や打刀を手裏剣に打つ業は、知新流、鉄人流、円明流など、飛刀術を得意とした宮本武蔵を流祖と仰ぐ流儀はもちろん、新陰流や心形刀流、柳生心眼流など、名だたる古流武術の名流各派にも、伝来の「型」=業として伝承されているのである。


 ところで、ここで手裏剣術者として飛刀術を日常的に稽古している立場から言わせてもらうと、単に打ち物として脇差や打刀を「投げつける」のであれば、型稽古だけでも十分だが、刀や脇差を「手裏剣に打って」、相手を殺傷しようと思うのであれば、実際に脇差なり刀なりで的に「的中」させる稽古をしなければ、業としてはまったく意味をなさない。

 特に、飛刀術が最も有効性を発揮するのは1間半~2間の間合いなのだが、彼我の間合が1間を超える場合、偶然以外の確立では、未経験者にはまず刺さらないとアドバイスしておこう。


 というようなことを、あらためてつらつら考えたのは、先週金曜、時代劇専門チャンネルで、『子連れ狼』第2シーズンの最終話を見たからである(爆)。

 丹下段平・・・じゃなくって藤岡重慶氏が、「武士なら刀を投げるとは思うまい、ふふふ・・・」と悪巧みを考えたところ、冥府魔道に生きるアイシャドウが怖い子連れの浪人さんはもっと卑怯なので、長巻を投げて段平を串刺しにしちまいましたとさ・・・、という話しであった。

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 「我ら、冥府魔道に生きる者・・・」

 (了)
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