早春夜話~空手道随想~/(武術・武道)
- 2013/02/14(Thu) -
 年末からの殺人的な多忙が、ようやく少し落ち着いてきた。

 何しろ元日から仕事で、1月中は1日も休まず、今年は年賀状も年始の挨拶も、まったくしていなかったほど。それでも翠月庵の稽古と、自宅での手裏剣術と抜刀術の稽古だけは、なんとか時間を捻出してきたが、いやじつにきつかった。

 冗談抜きで、ちょっと「うつ」気味になったくらい・・・。


 そしてようやく、2月に入ってから多少余裕が出てきたので、空手の稽古へも出られるようになった。

 先日は空手道の稽古を始めて14年目にして、はじめて全空連の指定形の平安を習ったのだが、いやまったく、あまりに動作が違って、戸惑うばかり。しかし、これはこれで、味があるともいえるか? 全体の挙動がシンプルになっているので、初心者には指定形の方がとっつきやすいかもしれない。

 五段の後半で飛んでから交差受けをしてしまい、「いや、指定形では飛ばないんだよ」と指導を受ける。

 かつて、私が学んだG流の平安五段では、ここで宗師範のT先生が、「飛べえ!!!!!」と道場も割れんばかりの大音声で、指導されたものだ。

 空手界でも有数の「怖い先生」と言われていたT先生だが、実際には我々社会人の弟子に対しては実に紳士的な先生だった。

 12歳からはじめた古武道に、いろんな意味で幻滅していた29歳の私は、改めてゼロから現代武道の門を叩こうとT先生の道場に入門した。

 初めてご指導を受けた日、

「市村さん、青白きインテリではダメだよ」

 と、貫手を喉もとに突きつけられながら(笑)、言葉をかけていただいたことは、今も鮮明に記憶に残っている。

 入門から4年、流派弐段の段位をいただいたのは、33歳の夏の合宿だった。勝ち抜きの試合組手では、20代の活きのいい黒帯や茶帯を相手にして4人を抜いたかわりに、指を骨折し肋骨にヒビが入ってしまったが、それも今となっては懐かしい思い出だ。

 その後、仕事の多忙や、古流の稽古の再開、翠月庵の設立などで、次第に空手の稽古からは足が遠のいてしまい、都内からの引越しを期に、さらに多忙にまみれて、きちんとしたご挨拶もできず、2年前に会を退会してしまったことは、我ながら今も深く後悔している・・・。


 そして昨年、自宅から歩いて15分ほどの場所で、流儀に関係なく未経験者から経験者まで、だれでも参加できる、県が主催する空手教室を見つけ、週に1回、稽古に出るようになった。


 私にとって、手裏剣術と抜刀術を基盤とした翠月庵の「武術」は、稽古場の看板を背負い、少数ながらも稽古に参加する会員諸子への責任も担い、術技としては古流を基盤に創意を加えることで、手裏剣術という日本固有の伝統武芸の末席に連なる、いわば「公の稽古」だ。

 一方で空手道の稽古は、今の私にとっては健康増進のためのエクササイズであり、現代社会における「即物的な」護身術の鍛錬であり、日々のストレスを一時忘れることのできるレ・クリエーションであり、殺傷や制敵を第一義に考えない人格陶冶の修練である。それは、「私(わたくし)の稽古」なのだ。

 だからこそ、初心者向けの教室で、未経験の社会人の皆さんと一緒に白帯を巻いて、基本稽古中心の地味な鍛錬をしていても、実に爽快かつ楽しいのである。


 身に寸鉄も帯びない「空っぽの手(体)」を最大限に活用する武道・空手道は、ある意味で体を動かすという原初的な快楽でもある。

 だからこそ、もっと普及しても良いと思うのだが、聞くところによれば、中学校での武道の授業が必修化されたのにもかかわらず、本県の中学校では、空手道を採用する学校は1つもないのだとか。やはりいまだに空手には、「暴力的で、脳みそまで筋肉・・・」みたいなイメージがあるのだろうか? それとも、教員で空手道の指導ができる人が少ないからなのか? であれば、地域にいくらでも空手道の指導者はいるだろうに。

 道具も要らず、場所もとらず(空手の稽古は、最低でも1人1畳のスペースがあれば十分できる)、1人でも集団でも稽古ができ、怪我も皆無にできるという点で、空手道は学校武道に最適だと思うのだが。

 
 まあ、それを考えると、手裏剣術や抜刀術などは、道具そのものに殺傷力がある「武具」を日常的に扱わねばならないので、社会性や自制心が未成熟なコドモには、教えるべきものではない。

 小学生や中学生に真剣を持たせ、斬りの稽古をさせるようなところもあるが、そんな指導は児童・生徒の社会人としての成長に対して、百害あって一利なしである。

 少年に剣術や居合・抜刀術を本気で指導するのであれば、18歳くらいまでは現代剣道か、あるいは他の現代武道で、基本から相対稽古、試合稽古などを十分に経験させるべきだ。

 試合や乱捕りも含めた、厳しく、痛く、自分の思い通りに動いてくれない相手を対象にした稽古をせずに、ぬるい形稽古と据物斬りしかやらないようでは、武芸の命とも言うべき、真剣勝負での「先」、「間合」、「位取り」も知らず、理屈だけは一人前の頭でっかちな「口だけ武術家」が、大量生産されるだけだろう。

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▲写真向かって右側が、今を去ること10数年前の不肖・私(当時31歳)。空手道茶帯時代の試合風景。先を取って左の中段回し蹴りから、上段へ左刻み突きを入れた瞬間。メンホーと、白い拳サポが時代を感じさせる(苦笑)。
 茶帯の頃は、流派の全国大会の一般有級者の部で、組手は準優勝2回、形は優勝1回とまずまずの成績だったのだが・・・。黒帯となり、一般有段者の部になって以降は、組手も形も3回戦進出が最高成績。なにしろ現役バリバリの大学空手部員や20代の参段~四段が相手では、市井の中年カラテ家ではとても試合の相手にはならんよ・・・。学連や自衛隊現役の選手とか、あいつらバケモノだから(笑)。


 とまあ結局は、いつものごとく檄文風になってしまったが、要するに長く充実した、なによりも実のある武道人生を望むなら、「武術」と「武道」をバランスよく鍛錬するべきである、ということだ。

 (了)
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