春風一打/(手裏剣術)
- 2013/03/19(Tue) -
 日々の稽古中、手慰みに、断面正方形のスタンダードな棒手裏剣を打つ。

 いや、実に打ちやすい(笑)。

 普段、打っている短刀形の翠月剣に比べると、かなり雑に思い切り腕を振り込んでも、ぽんぽんと刺さる。

 翠月剣が、速力と武装に優れてはいるが操作が難しく乗り手を選んだ二式戦/鍾馗だとすれば、断面四角の棒手裏剣は、誰にでも扱いやすく操作性が高いが速力と武装に劣る一式戦/隼というところか。

二式戦
▲中島 キ44 二式単座戦闘機 鐘馗 II型 丙
“飛行隊第246戦隊”(ハセガワ 1/32)


 過日、根岸流の成瀬関次師の『臨戦刀術』(昭和19年)を読んでいたところ、「蟹目の大事」について解説した詳細な一節があり、たいへん勉強になった。

 彼我の間合、三歩(一間)のところに生死一如の大事があるということ。

 手裏剣術者は、常にこれを念頭に置いておかなければならぬ。

 「十歩において顔面に必中すれば七歩では眉宇の間に中(あた)り、五歩にして鳥兎(両目)の間を貫き、三歩では一眼に中る。必死必中、蟹の眼と見ゆるその先端に打ち込むには、二十歩三十歩の修練がなくては叶わぬ。かまえて忘るる事勿れ」(『臨戦刀術』より)


 この極意を翠月庵風に言えば、

 「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」

 であり、

 そのために万打、億打の修練がある。

 これが武術としての手裏剣術の真髄であり、本質であって、こうした気概のない手裏剣術など、ただの的打ちに過ぎない。

 この一打に、骨を斬らせて命を断つ覚悟があるか?

 いや、「骨を斬らせて命を絶つ」では、まだ己の命に執着があり甘い。

 大事に及んでは、己の一命を捨てて相手の命を断つ。

 「一死一殺」の覚悟があるのか。

 武術としての手裏剣術は、究極的には、こうした「ハラ」を育むことであると言えよう。

(了)
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