『子連れ狼』考/(身辺雑記)
- 2013/04/12(Fri) -
 若山富三郎版の映画『子連れ狼』シリーズ、ビデオソフトのコンプリートまで、あと2作だったのだが、過日、ヤフオクで第4作「親の心 子の心」と第5作「冥府魔道」を発見! 来週には入手できそうだ。

 今のところ、第3作「死に風に向かう乳母車」が最高傑作だと思う。何しろ大岡越前(加藤剛)の首が・・・(以下自粛)。

 一方で、時代劇専門チャンネルでも、週末夜に3話ずつ放送しているヨロキン版の『子連れ狼』が、第3シーズンの中盤に差し掛かろうとしている。そろそろ、毒殺の大家・阿部怪異が登場するわけだが・・・(笑)。

♪ねんねん さいころ 毒屋の子
 すり鉢もてこい 毒作ろ
 ねんねんころころ ねんころり

 ねんねん さいころ 毒屋の子
 毒を飲んだら ねんねしな
 寝たら起きずに あの世まで♪ (阿部怪異が歌う子守唄)


 思うに、若山版の子連れは、圧倒的な殺陣とあふれる70年代テイストのB級感がたまらない魅力なのに対して、ヨロキン版の子連れは、その叙情性やリリシズムが大きな魅力に思う。

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▲とにかく強くカッコイイ、若山「ちゃん」。頭、パッカーンである

 若山・拝一刀はひたすら強くてカッコイイが、萬屋・拝一刀(と大五郎)は、なにか見ていて手助けしたくなるような「切なさ」がにじみ出ているのだ。

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▲アイシャドーが怖いが、実は息子想いで
切ない萬屋「ちゃん」


 過日、仕事で4歳くらいの子供をモデルにした撮影を、丸1日地方で行ったのだが、その時しみじみ思ったのは、「オレには『子連れ狼』はムリだな・・・」ということである。

 モデルのちびっ子は、その年齢にしてはたいへん聞き分けがよく、撮影に困らないとても良い子だったのだが、それでも撮影後、ディレクターであった私は、正直、心身ともにぐったりとしてしまった。

 世のお父さん、お母さんは、これが毎日なのかと思うと、「ご苦労さんです・・・」と思うばかりである。


 ところで世の中には、いまだに「人間は人の親になって、ようやく一人前になれる」などと考える人々がいる。

 歴史のある古い企業や、あるいは田舎の地域社会などでは、いまだにそういう風潮が強いのではなかろうか?

 私などもちょっと前まで、たまに田舎に帰ると、親戚のじい様やばあ様、昔の上司や地元の先輩などに、この手の話を延々とされて、うんざりすることが少なくなかった。

 しかしこうした考え方は、なんともアナクロで暴論、余計なお世話で、ある意味で差別的ですらある。

 私のような、独り者の立場から言わせてもらえば、

「子供がいなければ一人前になれないというのは、ようするに自律性のない証拠では?」

 ということである。

 実際に、じい様・ばあ様たちにそう言ってしまい、絶縁されたことがある(爆)。

 百歩譲って、私のようにぐうたらに生きてきた結果、好きこのんで一人でいる者は、そんなことを言われてもしかたがなかろう。

 しかし、世の中には子供が欲しくても、体の機能や病気、あるいは社会的な状況など、さまざまな理由から子供がいない(できない)人も少なくないのである。

 こうした人々の存在を考えれば、「子供ができて(育てて)一人前・・・」などというのは、あまりにデリカシーにかける、無神経な考え方だと思う。

 まあ、人は経験を通して思考を実体化するイキモノなのだから、ひとつの経験知として語るのはいいが、その価値観をあまねく他人様に押しつないでくれということだ。


 こうした点で、『子連れ狼』は実にセンシティブな物語だ。

 なにしろ、シングルファーザーの刺客である!

 子育てをしたことがない私から見れば、そこはもう神の領域・・・、いや、まさに冥府魔道だ。

 子連れの刺客旅があまりに過酷だからこそ、無口で無表情の「ちゃん」が、親子で危地を切り抜けた後に一子・大五郎をひしと抱きしめ、「どあいごろー(大五郎)!」と嗚咽しながら叫ぶところに、『子連れ狼』というドラマのカタルシスがあるのだろう。

 そういう意味では、子供を持たない私も、『子連れ狼』というモノガタリを愛することで、子育てという行為を擬似的に経験し、楽しんでいるのかもしれない。

 実際、テレビ版の第1~2シーズンの西川・大五郎の、宿命を背負ったような表情を見ていると、「この子は、なんとしてもオレが守らねばなるまい・・・」と、しみじみと思うのである。


 それにしても・・・、テレビ第二シーズンの「ちゃん」のアイシャドーは濃すぎると思う。

 また映画版では、若山・拝一刀と、柳生烈堂の一騎打ちが見てみたかった・・・。

 (了)
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