「人を斬ってみたいですか?」/(武術・武道)
- 2013/04/22(Mon) -
 若いころ、中東の某国で、反政府運動に参加している活動家にインタビューしたとき、同行してくれたベテランの先輩に、「ふつうはこういうことは言わないけどね・・・、市村君、今の質問の意味はなんなの?」と、再三、注意された。

 こういう注意をされるときの質問というのは、たいがい、場つなぎのための、あまり意味のない質問であった。

 普通のインタビューなどでは、相手の緊張を和らげるためや、相手の反応を見極めるため、あるいはインタビュアーが次の質問や展開を考える時間稼ぎのために、どうでもいいような当たりさわりのない質問をすることがある。

 しかし、このときの取材は、相手は治安軍や秘密警察にマークされている活動家であり、そういう相手に対して、無意味な場つなぎの質問などしている場合か! というのが、その先輩の注意の意味するものであった。

クルディスタン_1
▲1996年3月、クルディスタン、ディヤルバクル市郊外。上空から機関銃の銃口を向ける政府治安軍の武装ヘリに、無言のビクトリー・サインで応じる数千のクルドの人々(撮影・市村)


 問いかけというものには、必ず問いかける側の意図なり思惑というものがある。

 だからこそ、ぬるい質問などすれば、海千山千の大人には、すぐに足元を見透かされてしまのだと、40を過ぎて、私にもようやくわかるようになった。だから最近、大学出たての新人さんの取材などを見ていると、こちらがいたたまれなくなってしまうのである、恥ずかしくて・・・。



 ところで、年がら年中、刀を振り回したり、手裏剣を打ったりと時代錯誤かつ物騒なことをしていると、ごくまれにだが、こんな質問をされることがある。

 曰く、

「刀とか振っていると、実際に人を斬りたくなるんじゃありませんか?」

 こういう質問をする人というのは、多分、自分自身の内面に、そういった暴力衝動があるのだろう。

 他人様はどうか知らないが、12歳の時はじめて刀を握ってから、かれこれ32年もたつけれど、私は1度たりとも、「人を斬りたい」などと思ったことはない。

 むしろ武芸の術というのは、それを学べば学ぶほど、その怖ろしさや殺伐さが実感されるものであり、とてもじゃないが、人様に刃を向けようなどとは思えないものなのである・・・、正しい稽古を積んでいれば。

 思うに、「人を斬りたくなりませんか?」と聞いてくる人というのは、「刀など振り回しているやつは、人が斬りたいと思っているのだろう」といった、先入観が非常に強いのではあるまいか?

 あるいは自分自身の暴力衝動を他人に投影して、「人を斬りたいに違いない」と、思い込んでいるのだろう。

 そこで、「(ニヤリとしながら)ええ、いつも誰かぶった斬ってやりたいと思ってますよ」などと答えてやると、そういう人は、すごく「うれしそう」に驚くのである。

 そこでさらに、「な~んちゃってぃ! そんなこと、考えたこともありませんよ。むしろ、稽古すればするほど、怖くて、人に刃なぞ向けたくなくなります」と答えると、すごく「がっかり」した顔するのだ、そういう質問をする人は・・・。

 そういう人にひとつ言いたいのは、てめえの暴力衝動を、他人に転嫁するのはやめとけ! ということである。だったら、自分でボクシングでも空手でもやって、ルールの中で合法的に、思う存分に殴り合えばよい。

 私は剣術や手裏剣術以外に、素手で殴りあう空手道も10年ほど稽古したけれど、こういう内面的な暴力衝動を抱えている人は、えてして厳しく痛い稽古についてこられないことが、少なくないように思う。

 たぶんこういった人は、他者へ加えられる暴力は大好きだが、己に加えられる暴力は大嫌いなのであろう。

 しかし、武芸にせよ格闘技にせよ、それらの稽古やトレーニングでは、他者への一方的な暴力というのは、絶対に存在しない。

 なぜなら、

 「我の剣(拳)の届く間合は、彼の剣(拳)が届く間合でもある」

 からだ。

 闘争の世界というのは、ことほどさように残酷なまでに平等なのである。てめえだけ、痛い思いをしなくて良いなどという、手前勝手なあまっちょろい理屈は通用しないのだ。

 だからこそ、我々は人など斬りたくないのである。

 人を斬るということは、己も斬られる可能性にさらされることなのだから。

 こうした「道理」を学び、他者を「正しく畏れる」ことを学ぶのが、本物の武芸の稽古なのだ。喧嘩自慢、暴力自慢の武術・武道人など、三流芸者に過ぎないことを忘れてはならない。 


 問いを発するということは、その人自身が問われる行為である。

 そのあたりの自覚のない人が、あまりに多い気がする。「言葉」や「問い」というものの重みを自覚しないのは、人として未熟にすぎる。

 そしてその未熟さゆえに、自分が傷つき、あるいは人を傷つけて、心も体も傷めてしまう人が多いのは残念なことだ。

 言葉=智慧というのは、人間の持つ最高の「武具」であり、この残酷に平等な世界で生き残るための、だれもが持ち鍛えることのできる「武器」なのだ。

 今世で生きることを選んだ以上、その武器をできるだけ研ぎ澄まして、浮世を生き抜かねばなるまい。
 
 (了)
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