知新流「飛龍剣」と翠月庵「飛刀術」/(手裏剣術)
- 2013/06/10(Mon) -
 すでに失伝してしまった手裏剣術の名流・知新流に、「飛龍剣」という業がある。

 正保年間(1645年~1648年)、大和郡山の士・飯島市兵衛によって開かれた同流の印可伝授書によると「飛龍剣」とは、

「腰刀は抜き離して下へさげ、棟を平手にて持ち添え、つるつると足を運び、間合を見て打ち離すことなり。打ちかかるに振り上げ、打ち出すときには、しばらく刀を引き離して離すことなり。打ちかかる離れの際には、柄を下へ引き下げ離すことなり」(藤田西湖著『図解 手裏剣術』より意訳・引用。以下、同じ)

 という業だという。

 つまり、当庵で言うところの「飛刀術」である。


▲当庵の飛刀術「切先返し」。間合二間から踏み込んで手裏剣に
打った脇差は、畳を­貫通してしまった。


 さらに同伝授書の「飛龍剣」のくだりには、

 「手裏剣に打つ腰刀は、長さ一尺二~三寸より一尺七~八寸、つまり脇差がよろしい。それ以上の長さの打刀や太刀はよくない。板などを的にするときは、跳ね返っての事故に注意すべし」

 とある。

 この技は、「知新流手裏剣目録」では懐剣による打剣などと並んで、「免許之伝也」となっている。また「心月流手裏剣術目録」にも、「脇差懐剣打之事」として記載されている。


 つまり、現在の手裏剣術諸流では、ほとんど稽古されていないであろう、「脇差を手裏剣に打つ」業だが、往時の手裏剣術諸流では、上級技法ながらも、けして珍しいものではなかったと推察できる。

 とはいえ実際のところ、脇差を的に投げ打つような稽古は、刀身そのものはもちろん、鍔や柄などの拵えに大きなダメージを与えることになるので、往時もそれほど頻繁かつ積極的には、稽古されていなかったのではなかろうか?

 手裏剣術を主とはしていない剣術諸流でも、脇差を「手裏剣に打つ」形は実は珍しいものではないのだが、実際には、的に脇差を打つ稽古を日常的に千回、一万回と繰り返すようなことはせず、あくまでも「口伝」としての伝授に留まる事が多かったのではないかと思う。

 ちなみに当庵でも、「飛刀術」の稽古では、飛刀術専用の剣を用いて稽古をしている。

 なお余談だが、以前にも解説したけれど、脇差を手裏剣に打つ際の有効な間合は二間半~一間の至近距離であり、三間間合などでは、むしろ飛刀の利が失われてしまう。こうした理合を、相対稽古でしっかりと認識した上で鍛錬することが重要だ。

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
| メイン |