山の奇談と手裏剣術/(手裏剣術)
- 2013/08/01(Thu) -
 民俗学者である柳田国男の著作と言えば、『遠野物語』が有名だが、それと対を成す代表作に、大正15年に発行された『山の人生』がある。

   山の人生
   ▲角川ソフィア文庫から、新装版として今年復刊された柳田国男の『山の人生』


 この作品は、山で暮らす人々の間に伝えられてきた、伝承や不思議な話、怪奇談などをまとめたものだ。その一節に、次の一文がある。


 日向南那珂(ひゅうがみなみなか)郡の人身上千蔵君曰く、同君の祖父某、四十年ばかり以前に、山に入って不思議な老人に行逢うたことがある。白髪にして腰から上は裸、腰には帆布(ほぬの)のような物を巻きつけていた。にこにこと笑いながら此方を向いて歩んでくる様子が、いかにも普通の人間とは思われぬ故に、かねて用心のために背に負う手裏剣(しゅりけん)用の小さい刀の柄(つか)に手を掛け、近く来ると打つぞと大きな声でどなったが、老翁は一向に無頓着(むとんちゃく)で、なお笑いながら傍へ寄ってくるので、だんだん怖ろしくなって引返して遁(に)げてきた。


 『山の人生』の初版は大正15(1926)年発行なので、文中の「四十年ばかり以前」というのは、明治19(1886)年頃になる。ちなみに明治19年という年は、日露戦争の18年前だ。

 さて、この一文で興味深いのは、

「かねて用心のために背に負う手裏剣(しゅりけん)用の小さい刀の柄(つか)に手を掛け、近く来ると打つぞと大きな声でどなった」


 という部分である。

 まず第一に、この不思議な伝承の体験者である身上千蔵君の祖父「某」氏が、山深い場所を往来する際、用心のために「小さい刀」を「手裏剣用」に携帯していたという点に注目したい。また第二に、怪しい山人に出会った「某」氏が、「近く来ると打つぞと大きな声でどなった」ことも興味深い。

 第一の点について、手裏剣用に背負っていた「小さい刀」とは、果たしてどのようなものだったのだろうか?

 背負うほどのサイズで、しかも柄があるということは、いわゆる棒手裏剣のような小型の投擲用武具というよりも、短刀や脇差程度の、それなりの大きさの「刀」だったのではなかろうか?

 また、その「小さい刀」は、「手裏剣用」に「背に負」っていたということから、鉈や山刀のように作業用に使うのではなく、最初から護身用に特化して携帯されていたと考えられる。さらに「小さい刀」を斬ったり突いたりして使うのではなく、最初から「手裏剣用」、つまり投擲して使おうと考えていたという点も、非常に興味深い。

 普通、短刀や脇差、あるいは小刀サイズの刃物でも、それで身を守ろうと思う場合、斬る・突くという動きをとるのが一般的だ。しかし、この「某」氏は、あえて最初から、何か事があったときには小さい刀を手裏剣として使ってやろうと考えていた、というのはたいへん特殊なように思う。

 また第二の点。ここで「某」氏は、迫ってくる奇怪な山人に対して、手裏剣用に使おうと背負っていた小さい刀の柄に手をかけて、

「近く来ると打つぞ

 と怒鳴っている。

 普通、武芸としての手裏剣術のたしなみがない人は、こうした場合「打つ」とは言わない。多くは、「投げる」と言うものである。しかしこの「某」氏は、あえて「打つぞ」と怒鳴っているのである。


 こうして記録の断片から大胆に推測すると、この「某」氏は、明らかに手裏剣術、あるいは剣術における「打ち物」、つまり当庵で言うところの「飛刀術」の心得があった人ではないかと考えられる・・・、と推測するのはいささか乱暴であろうか。

 古流の手裏剣術諸派では、たとえば知新流の「飛龍剣」や心月流の「脇差懐剣打之事」のように、専用の手裏剣ではない、脇差や短刀を手裏剣に打つ技術があった。一方で剣術諸流にも、たとえば圓明流の「手裏剣打ち様」や寶山流の「飛龍迫」「臥龍迫」、心形刀流の「三心刀」のように、脇差を手裏剣に打つ技術は伝えられていた。


▲脇差を手裏剣に打つ「飛刀術」


 こうした点からも、『山の人生』のエピソードに登場する「某」氏は、手裏剣術にゆかりのある人物ではなかったか・・・、などと空想するのである。

 (了)
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