見学小考/(武術・武道)
- 2013/08/30(Fri) -
 武術・武道の道場や稽古場には、見学を可としているところもあれば、不可にしているところもある。この「見学」というやつは、なかなかに複雑な問題をはらんでいるものだ。

 たとえば、いままでまったく何も武術・武道の経験のない人は、そもそも武術・武道がどういうものであるのか、その流儀や会派がどのような稽古を行い、どんな雰囲気で運営されているのか、皆目見当がつかないということもあろう。

 こうした場合、見学というのは、それなりに意味がある。そもそも未経験者は、形稽古と地稽古・試合稽古の違いするも分からないだろうからだ。

 また、武芸の稽古は師弟関係をベースに礼法を重んじる芸事なので、スポーツクラブとは違った特有の雰囲気や作法がある。こうした点が未経験者には分かりづらいであろうことからも、初心者の見学には意味があるだろう。

1308_抜刀術相対稽古
▲抜刀術の相対稽古。一般的に居合・抜刀術では、一人で所定の動作を
繰り返す単独形が稽古の中心だが、「間合」や「先」を学ぶためには、
このように相手を立てて行う相対稽古が必須である


 では、ある程度武術・武道の素養のある者や、他流で十分な経験をつんだ者に対してはどうだろうか。

 武芸には、「見取り稽古」という言葉があるように、見る者に「観の目」があれば、他者の稽古を見ることそのものが、非常に有意義な稽古になる。

 したがって、まだ入門もしていない相手に見学を許すのは、他人に業を盗ませるようなものだという考え方がある。見学不可としている流儀・会派の多くは、こうした観点に立っていることが多い。

 もっとも個人的には、ちょっと見られたぐらいで盗まれるような底の浅い芸では、いかがなものかとも思うのだが・・・。

 こうした点を考慮して、古流の流儀や会派によっては、鍛錬用や実践用の形とは別に、業を隠した演武用の形や技があるところもあり、見学者にはこうしたものしか見せないというケースも少なくない。いわゆる「ピン抜き」というやつだ。

 見学を希望する者の中には、最初から入門目的ではなく、技を盗むことを目的としている、品性の卑しい輩もいるので、こうしたピン抜きの形や技というのも、その必要性は否定できない。

 つまり武芸における「対抗不能性」という点から、見学不可という行為はそれなりに意義が大きいのである。


 それでは手裏剣術者の立場から「見学」というものを考えると、どうだろうか?

 私は、基本的には見学可で良いと思う。その理由は単純で、手裏剣術の「業」というのは、ちょっと見ただけで習得できるものではないからだ。

 これは他の武術・武道でも本質的には同じことなのだけれど、特に手裏剣術は見よう見まねがしにくい、というか見よう見まねではまず刺さらないので、実際の打剣を見られても、さほど問題はないのである。

 一方で、手裏剣術の「運用法」については、門外に見せるものではないと思う。


 知新流手裏剣術の印可伝授書には、門人でない者が手裏剣術を見たいといってきた場合の対応について、次のように記している。

「初めの5本は柔らかに打って見せる。次の5本は普段の稽古の通りに打って見せる。最後の5本は鉄板を打ち抜くような気持ちで打つ。以上、合計3セット以上は見せない事」(以上、意訳)


 この表演用打剣の心得は、なんとも含蓄に富んでいる。古人の智慧は、実に奥深いものだ。

 では、その奥深さとは何か?

 それはまた、稿を改めて論じたいと思う。

 (了)
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