山田次郎吉の手裏剣術考(その1)/(手裏剣術)
- 2013/09/24(Tue) -
 山田次郎吉(1863-1930)といえば、直心影流の15代であり、『日本剣道史』を記した剣客として知られている。その山田が、手裏剣術に関して記した一文が、大正7年発行の『大日本武道練修教範』に収められている「手裏剣術の話」である。

1309_手裏剣術の話


 この中で山田は、手裏剣術の起源を『荘子外篇』や『史記』にまでさかのぼり、源平時代に流行したという「毒扇法」なる業も、手裏剣術成立の一因であったと指摘している。

 なお、ここで記されている古代大陸の術は、1尺5寸~2尺の両刃の投げ槍、いわば打根のようなものであり、また毒扇法とは、古流の遠当てと同様の技術であるようだ。


 その上で、「柳生流のゆるしには、よく手裏剣のことを書いているから」、江戸時代のはじめころには、手裏剣術はすでに盛んに行われていたのだろうと指摘。

 しかし当時は、手裏剣術として独立したものではなく、剣術家の隠し技として密かに修行をしたもので、

「教ゆる人も、教わる人も公然としてやったものではなかったらしい」

 と記している。

 また手裏剣術は、徳川初期から由比正雪の頃までは盛んに研究されたが、幕末の頃にはすっかり廃れていたという。このため山田らは、「独習するより外(ほか)はない」とぼやいている。

 それでは、その独習内容とは、どのようなものだったのか?

 それは次回、ご紹介するとしよう。

 (つづく)
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