『山上宗二記』を読む/(書評)
- 2013/11/17(Sun) -
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                 ▲岩波文庫版の『山上宗二記』。


 武術・武道以外で学んでみたい芸事は、茶道だ。

 しかし現代の茶道の多くは、きらびやかな着物をまとった富裕層の手慰みや道楽と化してしまい、戦乱期の武人や茶湯者たちが求めた高い精神性は求めるべくもないだろうことは、たとえば思想家・柳宗悦の一連の茶道批判、あるいは茶人で哲学者の久松真一による厳しい茶道観に基づいた論考からも伺われる。

 残念なことである・・・。


 茶道に関する書籍の中で、個人的に非常に好きで、常に手元に置いて愛読しているのが、この『山上宗二記』だ。

 山上宗二は、千利休の高弟で、豊臣秀吉に使えていたが、一言居士ゆえ秀吉の怒りを買い、耳と鼻を削がれて斬首された、不遇の茶人である。もっとも、この戦乱の時代、利休にしても織部にしても、いずれも時の権力者と対峙し、切腹して果てているといるというのは、なんとも象徴的だ。


 『山上宗二記』は、今から400年以上前の天正16(1588)年に記された、茶の湯秘伝書である。内容は、名物道具論と茶の湯・茶人論の2つで構成されている。

 もとより、私には茶の湯の嗜みはないのだけれど、山上宗二の語る茶の湯・茶人論からは、日本の伝統的芸事の修行に共通する深い含蓄が読み取れ、本書はある種の「修行論」として読むことができる。

 しかもその論考は、日本史上最高の絶対権力者・豊臣秀吉に逆らって殺されるほどの反骨の茶人が記したものだけに、ぬるい時代の半端な武道学者先生が書いた、軽い「修行論」などとは比較にならない厳しさ、本質的な勁(つよ)さが秘められている。

 もう1つ、山上宗二は、茶道史上最大の天才であり怪物的茶の湯者であった千利休の高弟だったわけだが、本書を読むと、宗二が師・利休を見る目が、非常に冷静かつ客観的なことにも注目したい。

 利休ほどの大人物・不世出の天才が師であれば、その高弟として利休をある種の神的偶像に祀り上げ、それを賞賛することで、ひいては自分自身の権威を高めることも容易であろう。しかし、本書で宗二が語る利休像は、あくまでも客観的であり、その評価も冷静だ。

 これは宗二自身が、利休の高弟として茶の湯の修行に専心し、「守・破・離」の階梯をしっかりと上り、本書執筆の段階で「破」から「離」に立ち至る視点に立っていたからこその、見方なのではなかろうか。

 翻って武術・武道の世界を見れば、「虎の威を借る狐」のように、己の師匠筋を妄信し、あるいは神話的伝承を事実と取り違え、神と祀り上げている武術・武道関係者の少なくないことは、いまさら記すまでもない。

 気を入れるだの、空中に浮くだの、当てずに倒すだの、正常なアタマとカラダで考えれば、あまりに馬鹿げたことを無批判に信じ、束脩という名目の金品を長期間にわたって搾取される人が後をたたないのが、この世界の実態なのだ。

 なにより筋悪なのは、師として己の「神業」なるものを示し、それによって金品と名声を得るばかりで、何年たってもまともに遣える弟子を育てられないような、指導者の存在である。そもそも武術・武道というものは、自分ができて当たり前の世界であり、その業や心法を後進に受け渡し、育てて大成させ、さらに次代につなげるのが、芸事の師たる者の使命なのだ。

 だからこそ、たとえば宮本武蔵がどんなに強く、現代人に勝るとも劣らない合理的近代精神を持っていた超人的武人だったとしても、武術・武道家としては上泉伊勢守に比べて、一段、格が下がるのである。


 山上宗二は、茶の湯者が朝夕唱えるべき言葉として、

 一、志
 二、堪忍
 三、器用

 と記している。これを武術・武道人の視点で見れば、

 一、斯術・斯道への大いなる理想
 二、武人として「忍ぶ」べき心
 三、術技のたゆまぬ向上

 と言い換えられるのではなかろうか。


 400年以上も前の戦乱の時代に生きた、反骨の茶人の声を間近に聞き、己を見つめなおすことができる。

 古典の醍醐味とは、こういうものだ。

 (了)
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