他山の石/(身辺雑記)
- 2014/06/10(Tue) -
「他山の石」の意味

 「先生の生き方を他山の石として頑張っていきます。」 ― このように,「他山の石」という言葉は,「自分が手本にしたい目上の人の良い行い」という意味でしばしば用いられているようです。

 しかし,本来の意味は違っており,冒頭の言い方では「先生」に失礼な発言をしたことになってしまいます。~文化庁文化部国語課~ 


 そういえば私も、他流の人から「他山の石」呼ばわりされたことがあったな・・・。

 無礼な話だ。


 さて、最近とあるwebページで、某流派の武術人が、他流や他人を激しく誹謗中傷しているのを見た。

 議論や批判、科学的な検証が軽んじられることが多い武術・武道界なので、真っ当な批判や批評はもちろん、双方申し合わせの上で「決闘罪」に抵触しないのであれば、立合などもあっていいと思う。

 私も、たとえば「気」で、触れず・避けずに手裏剣を叩き落せるという武術・武道人がいたとすれば、全力で批判・批評するだろうし、先様から白黒つけるための立合を所望されたら、後学のために受けて立つ気持ちの準備はある。

 もちろんその場合、先様に手裏剣が刺さったり、その後の抜き打ちで斬っちまったりしないよう、手裏剣は模擬剣に、刀はピコピコハンマーに代えて立合ってあげる配慮はするつもりである(爆)。


 さて批判や批評というのは、節度をもってやらないと、往々にして単なる暴言や罵詈雑言になることが多い。

 くだんの古流武術人は、web上の公開された場で議論になった相手に対し、突然会話の流れを切って、「おまえは●●人だろう」「日本から出て行け」などといった、人種差別的な暴言を吐き、結局議論はまったく成立していなかった。

 このやりとりを読んでいて思ったのは、「少なくとも一連の議論を読んでいる不特定多数の人は、議論になった相手を●●人呼ばわるするようなセンセイに、稽古をつけてもらいたくはないと思うだろうな・・・」、ということである。

 ハーゲンダッツのアイスクリームが好きな人もいれば、そうでない人もいるであろうと同じように、A国民やB民族が好きな人もいれば、嫌いな人がいてもいい。

 日本は自由の国だ。

 中華人民共和国のような独裁国家ではなく、思想の自由や表現の自由が保障された近代民主主義国家なのである。個人の好き嫌いを、他人様にとやかく言われる筋合いはないし、「オレはハーゲンダッツが嫌いだ」とか「●●人は出て行ってほしい」などと心の中で思うのも自由である。

 しかし相手を誹謗中傷するために、わざわざ人種問題を持ち出すというその心根は非常に下品だと、ごく真っ当な教育を受けた近代市民であれば思うのも、また事実である。

 レシズムに溺れ安易な民族主義に酔う、思考の偏った武術人というのは、まさに「他山の石」といえよう。

 ア・プリオリにある自らの人種にしかよりどころを見出せないようでは、厳しい鍛錬の末に得ることができる「己が術」のみを頼みとする武芸者への道は、はるかに遠かろう。

 人種差別は、あきまへん。

 (了)
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