サムライを気どるなら、平成の武人の嗜みも学びたまえ
- 2008/09/21(Sun) -
 私は普段、やむを得ぬ事情が無い限りは、和装で過ごしている。

 日本文化の称揚とか伝統の技を守れとかいうような高尚な理由ではなく、ようは単なる道楽である。幸いなことに、ここ数年、「男の着物」がブームであり、都内では若者から年配の方まで、最近はずいぶん和装の人が増えてきたように思う。喜ばしいことだ。

 それでもまあ平成の御世では、キモノというのはやはり目立つわけで、私などたまに生業の関係でスーツなどを着て地元を歩いていると、なじみの商店街の人々に「今日はどうしたの!」などと、逆に驚かれるほどである。

 というわけで、自分以外に着物姿の男性を町で見かければ、好意を感じこそすれ、忌避することなどはない。

 がしかし、どうにも許容できない、「馬鹿者」に出会うこともある。

 1回目は2年ほど前、2回目は今日。いずれも20代くらいの男であるが、同一人物であるのかは定かでない。場所いずれもJR池袋駅の構内である。

 その男、和装で白昼の駅の構内を歩いている。それは良し、こちらも今日は、浅黄色の麻の着流しである。一方でヤツは、羽織はまとわず、黒の長着に同じく黒の袴を着けて闊歩している。サムライを気どっておるのだな。

 なおこれは個人的な好みなのだが、私は和装でも、基本的に袴ははかない。なぜなら袴をつけると、普段着としては大仰かつコスプレじみて見えるからである。また礼装として、紋付袴が求められるような場には、和服は着ていかない。めんどうくさいからである。

 まあ、これはあくまでも私の好みであり美学であるので、それに関して、この男をとやかく言うつもりはない。またこの男、ご丁寧に編笠(!)まで首から背中にかけていて、どうみてもコスプレにしか見えないのだが、それも別にかまわない。

 日本は自由の国であり、東京はアバンギャルドな都市なのだ。人の服装に文句はつけないのが、東京人の嗜みである。

 問題なのは、この男が、刀らしき物を持ち歩いていることである。

 もちろん抜き身ではない。がしかし、絹様の薄手の布の刀袋に入れただけの状態で、手に持って歩いているのである。しかも、ご丁寧に左手にだ。

 ちょうど私も稽古場に向かう途中であり、居合刀一振、飛刀術用の脇差一振、木剣一振、手裏剣20本を持っていた。しかし当然ながら、居合刀と脇差は、それぞれ布の刀袋に納め、木剣と共に、それらをさらに皮製の刀ケースに収めて稽古場まで「運搬」しているのである。

 手裏剣については、リュックサックの一番底にしまい、その上に稽古着、袴、地下足袋などを収納し、すぐに取り出せないようにして「運搬」している。

 他流の居合人や剣術家を見ても、私が知る限り、武術・武道を嗜む者は、基本的に剣類は布の刀袋に納めた上で、それをさらになんらかの刀ケース(釣竿ケースを代用する人もいますな)に収納し、稽古場への持ち運びに使っているようである。

 ようするに、剣呑な刀剣類あるいはそれに類する武具を持ち歩くときには、できるだけすぐに使用できないような状態で、なおかつ、それが武具と分からぬようにして持ち歩くというのが、平成の武人の嗜みというものである。

 ところがこのコスプレ男、薄手の刀袋のみで、しかもそれをたぶん柄頭を前方にして左手に持ち、人並みでごったがす日曜の池袋駅構内をノコノコ歩いているのである。

 もちろん、刀袋の中身が、竹光か、模擬刀か、居合刀か、模造刀か、本身かは判別しようがない。もしかしたら、杖かも知れない。まあ、我々、武術・武道をたしなむ者が見れば、たぶん刀か、それに類するものが入っているのだろうというのは推察できる。


 さて、もしこの男が、たんなるコスプレ男であるなら、まだいい。

 ただ、とりあえず左手に持つのはやめれと。右手で持ち歩けな。また、これからは刀は刀袋に入れ、それをさらに刀ケースに納めて持ち歩けと。だれかが教えてやれば良いのである。そんなんでは、いかにサムライを気どった和装でも、「お里が知られるよ」と。

 たぶん奴は刀剣の扱いの作法、そして現代社会での刀剣やそれに類するものの、平素の扱いのルールや嗜みを知らないのだろう。

 問題なのは、万が一、この男が単なるコスプレ男ではなく、武術・武道の関係者だったらということである。

 だとすれば、本人も馬鹿だが、指導者や稽古場・道場の責任者も愚か者だということだ。

 平成の今、刃物を使った犯罪がマスコミでも大きく報道され、世間の目が厳しくなっている今だからこそ、修養として剣術や居合を学ぶ者は、従来以上に、武具の管理や運搬には気を使うべきである。とくに一般の人は、本身と居合刀、偽造刀などの区別がつかないわけであり、だからこそ他者を威嚇するような武具類は、できるだけ「それと分からぬように」、持ち運ぶのが、平成の武人の嗜みなのだ。

 それが出来ないような者、あるいはそこに思いが行き届かないような、平素の暮らしでの「間合」や「位」の感覚に鈍感な者は、武術・武道にはそもそも向いていない。さらにそのような門人を野放しにしているような流儀・指導者は、武人以前に、社会人としての資質を欠いていると断言してよい。

 いずれにしても、こうした馬鹿者が跋扈していようでは、着物ブームも、武術・武道の興隆も、社会的には百害あって一利なしである。

 まったく、困ったものだ・・・。
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