離(はなれ)之大事/(手裏剣術)
- 2014/09/01(Mon) -
 過日、稽古の後、当庵のAさんが、「剣術の稽古をした後に打剣をすると、どうもその後の手裏剣の刺さりが悪くなりますね・・・」とつぶやいた。

 本ブログでも、すでに何度も指摘していることだが、剣術と手裏剣術では動作体系が異なるため、結果としてAさんのつぶやきのようになるのである。具体的に言えば、剣術の稽古の後に打剣をすると、手裏剣が首落ちしやすくなってしまうのだ。

 実際に手裏剣術と剣術を共に稽古している者で、このように実感しないのは、よほど鈍感な者か、あるいは意図的にそういった感覚を排除している、いわゆる「ためにする主張」の持ち主なのであろう。

 古来からなぜ打剣の要諦として、「刀の切先がちぎれて飛んでいくように」と教えられてきたのか?

 この教えの重要な点は、「ちぎれて飛んでいく」という部分にある。つまり、手離れの早さを示しているわけだ。逆説的に言えば、この教えは「単に剣術の素振りのような動きをするだけでは、手裏剣は打てませんよ」とアドバイスしているのである。

 刀を振る動作と手裏剣を打つ動作は、一見同じように見えたとしても、手之内の操作や腕の振り方などについて、動きや意識の置き方がまったく違う。

 ここをしっかりと理解できていない者は、馬鹿の一つ覚えのように「刀の振りと同じようにすれば、手裏剣が刺さる」などと教える。すると生徒は、必ず一間半~二間で壁にぶつかって刺さらなくなり、いつまでたっても三間さえも通せなくなってしまうのだ。

 門下の上達を邪魔して、少しでも長く月謝や謝礼を搾取したいという指導者にとってはそれでよいのかもしれないが、できるだけ早く生徒に上達してもらいたいと考えるのであれば、間違っても(特に初心者に対しては)剣術と手裏剣術の動きを混同して指導してはならない。


 一方で、形而上においては、手裏剣を打つことも、刀を振ることも、武術としては本質的には同一のものだと捉えることができる。そうでなければ、刀と手裏剣を合理的(安全・安価・有利)に併用することができない。

 そこで、刀と手裏剣という、まったく異なる動作体系をつなぐためのポイントのひとつが、「切先がちぎれて飛んでいく」というイメージなのだ。

 「切先がちぎれる」という言葉をありていに解説すれば、手裏剣を意図的にすっぽ抜けさせるような動き=手離れの早さを教えているのである。

 切先がちぎれるということについての具体的なイメージは、たとえば刀による真っ向正面の斬りの動きにおいて、左拳が額の上辺りに位置する一般的な上段構えから振り下ろす場合、刀の鍔が自分の額辺り(間合によっては、それよりもさらに後ろ)で、すでに切先がちぎれて飛んでいる=手裏剣が手離れをしているというものである。

 こうしたイメージが明確にないと、手離れが遅くなり、たかが一間半でも手裏剣は首落ちをする(※)。

 古来、こうした「コツ」は、それこそ万打自得するものとされ、明確に言語化されてこなかったのであろう。ゆえに、「剣術と手裏剣術の動きは同じ」だとか、「剣術の動きのままで手裏剣は打てる」などといった迷信や誤謬が、流布されてしまったのではないだろうか。

 知新流手裏剣術の目録には、まず最初に「手裏剣離之事」が記されている。また同流の印可伝書には、「手離れをおしまぬ様に心得打つ事専一なり」とある。

 「刀の切先がちぎれて飛んでいく」というのは、まさにこの手離れの早さを教えたものだといえるだろう。

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※当然ながら、首落ちの原因は手離れだけではなく、その他にも複数ある。なかでも重要なのが、「手首を殺す」ことである。剣術的に言えば、いわゆる「斬り手」「龍之口」で、手首のスナップを利かせないことが、非常に重要になってくる。このように、手首を利かせない=抜け手にならないという点では、剣術と手裏剣術の動きは共通しているといえるだろう。

 (了)
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