武芸とマスコミ/(武術・武道)
- 2014/10/21(Tue) -
 最近、私も何度か見たことのある民放の某長寿テレビ番組から、「翠月庵で稽古している、武術としての手裏剣術に関心がある」とのことで、撮影の申し込みがあった。

 結局、日程等の調整がつかず話しは流れてしまったのだが、当庵あるいは日本武芸のひとつである手裏剣術について、忍者だのといった馬鹿馬鹿しい興味本位ではない、まじめな関心をマスコミに持っていただけたというのは、うれしいことである。


 私の生業は、医療・福祉・旅などについて雑誌や新聞に記事を書いたり、書籍の編集を請け負う、フリーランスの記者兼編集者だ。

 こう書くと「マスコミ関係者なのですね・・・」などと言われることもあるのだが、はたして自分が「マスコミ」の一員なのかどうか、いささか疑問でもある。

 書店に行けば、地方の小さな書肆やコンビニなどにも、たいがい1冊や2冊は、自分の書いた記事の載っている旅行雑誌が置いてあり、月に2~3本は新聞の健康欄に執筆した記事が掲載されている。

 さりとて私は、いわゆる「無署名ライター」であり、己の名前を前面に出して記事や本を売り出す作家や著名ジャーナリストなどといったものではない。

 ま、ようするに、市井に生きる売文の徒ってやつだ。


 そういう立場で「マスコミ」という世界やそこに生きる人々を間近で見ていると、いろいろ思うことも少なくない。

 たとえば、同じマスコミという言葉でひとくくりにされていても、活字の世界とテレビの世界では、仕事の進め方やその感覚、予算規模などがまったく異なり、双方はまるで別世界、大工さんと板前さんくらい違う。

 また同じ活字の世界でも、雑誌・書籍にかかわる人々と新聞関係者を比べると、カバとキリンくらい違う。さらに、同じ雑誌や書籍にかかわる活字の世界でも、旅の情報誌と医学関係者向けの専門誌では、これまたまったく仕事に対するスタンスや原稿料にまつわる対応などに、天地の差がある。

 おまけに最近では、ネットに載せるための取材・執筆という仕事もときおりあり、これまた紙の出版物の仕事とは、まったく仕事観やギャラの相場感が異なるのである。

 ことほどさように、「マスコミ」と一言でくくっても、それは海老と鷹と豆腐と校倉造りを一緒くたに呼んでいるようなものなのだ。


 さて、活字の世界の住人として言うと、テレビの世界はよく言えば派手、悪く言えば傲慢である。

 これまで活字の世界の記者・編集者として、なんどかテレビ屋さんと共同しての仕事をしたことがあるが、良いにつけ悪いにつけ、非常にクセのある人々だなあとの感じを受けた。

 また、手裏剣術者としては、これまで4回ほどテレビ関連の取材に関わったけれど、やはりテレビ業界は出版の世界とは違うなとしみじみ感じる。

 なかでも非常に腹立たしかったのは、1~2年前だったか、AKB48のメンバーに手裏剣術を指導するという企画の依頼だった。

 メールでのやりとりで、「数時間の練習で、ある程度の距離(3間だったかな?)から、野菜に棒手裏剣を刺中できるようにしてほしい」ということだったので、「それはほぼ100%無理です」と、丁寧に説明した。それでも「ダメもとで企画を進めたいので稽古場に見学に行きたい」という。

 しかたがないので、わざわざ定例の稽古の前に時間を作り待っていたのだが、見事にすっぽかされた・・・。しかもその後、お詫びの連絡があるわけでもなくなしのつぶてである(怒)。

 こういうことを平気でするから、テレビ屋は嫌われるんだよな。

 ロケハンや事前取材とはいえ、アポイントをドタキャンしてシカトなんて、活字の世界の仕事では考えられないぜ。つうか、活字とかテレビとか関係なく、仕事の一般論としてNGだろう(さらに怒!)。

 その点、今回撮影に関する申し込みのあったテレビ番組の方は、結局、撮影そのものは流れてしまったものの、その旨の連絡もきちんとしてくれて、たいへんさっぱりとした気持ちで、最後までやりとりすることができた。

 こういう人ばかりだったら、テレビ取材もいいんだけどねえ。


 テレビといえば、私は見ていないのだけれど、ちょっと前にバラエティ番組で「鎖鎌はどれくらい強いか、他流と対戦させる」的な企画があり、番組を見た私の武兄が「それは無残なものでしたよ・・・」と話してくれた。

 ま、見なくても、なんとなく想像はつくわな・・・(苦笑)。

 出演した人物の業前とか、勝ち負けを判断するルールや想定以前に、こうしたテレビ番組では、そもそもその企画が真摯に武術・武道を取り上げるものなのか、それとも素人をいじって笑いをとるような下劣な趣旨のものなのかをしっかりと見極めておかないと、くだんの鎖鎌術士のように、とんでもない恥をかかされてしまうことになる。

 ただしそれも、武術・武道以前に、本人の兵法未熟ゆえの結果であるのだが。

 また、ちょっと前のテレビ番組で、そこそこ名の知れた抜刀術の師範が笑い者にされたという話も聞いたが、こうしたケースは枚挙のいとまもない。

 私に言わせると、武術・武道関係者には世間知らずな人や、マスコミに対してイノセントで無防備な人が少なくない。テレビや雑誌に出るというのは宣伝になるし、なにより当人の自尊心をくすぐるようで、マスコミ慣れしていない人は舞い上がってしまうのかもしらん。

 私はある番組の中で、「それは○○じゃよ」という台詞を言えとあったので、

 「いまどき『○○じゃよ』とかいう人って、いないよね? あと、忍者っていうのはやめてくれます?」

 と、ディレクターに台本を直してもらったことがある・・・(笑)。


 そもそも、己が日々武術・武道を稽古しているのは有名になるためではなく、金儲けをするためでもない。このような武人としての確固たる信念がないと、面白おかしく取り上げようとするマスコミの罠にかかってしまうリスクが高いのである。

 武術・武道の稽古(修行)というのは極めてパーソナルな課題であり、本来、テレビや雑誌などマスコミへの露出に汲々とするようなたぐいのものではない。むしろ武人たる者は、市井に生きる「武林隠者」として在るのが正しく健全な姿であろう。

 にもかかわらず、マスコミによって取り上げられ、一時的な名声や分不相応な金を得て自我が肥大してしまい、結局は堕落・自滅していった人を何人か見てきた・・・。


 四書五経の帝王たる易経は、「亢竜悔あり」と諭す。

 足るを知ることの難しさが身にしみる。

 (了)
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