武人の一札/(武術・武道)
- 2015/01/13(Tue) -
 小春日和の休日の午後、つらつらとタロットなど手繰っていて考えたこと・・・。


 若い頃は、武術人たるもの「剣のナイト」のようでなければと思っていた。

1501_剣のナイト


 しかしまあ、45年も浮世の風にさらされていると、あっちにぶつかりこっちにつまずいて、未熟者は未熟者なりに多少の智慧がついてくる。

 すると「剣のナイト」の行く末は、往々にして「剣の10」であろうという経験則を知る事となる。

1501_剣の10


 だからこそ、しぶとく人生に生き残ってきた老兵は、「武術とはいかに?」と問われれば「力(ちから)」の一札をもって、その本質を示すようになる。

1501_力


 一定のレベルに達した武術・武道人であれば、「力」というものは他者からのものであろうと自らのものであろうと、適切にコントロールできなければならない。

 そのために我々は、日々、殴る、蹴る、投げる、極める、砕く、絞める、斬る、突く、打つなどといった、平時の日常生活にはほとんど役に立たない剣呑な「術」=「武芸」を学ぶのである。

 ゆえに、他者からの「暴力」をコントロールできないようでは武人としてあまりに未熟であるし、自らの「暴力」性をコントロールできないようではただのDV野郎(あるいはDV女郎)である。

 たゆまぬ鍛錬により適切にコントロールされて、始めて「暴力」は「武力」に、そして「武徳」へと昇華する。

 武人が目指すべき「徳」は、これに尽きるであろう。

 (了)
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