知新流手裏剣術 印可伝授書を読む~その2/(手裏剣術)
- 2009/03/29(Sun) -
 前回の続き。

凡例
■以下のゴチックは意訳。【】は市村の祖述。


■手裏剣を手の内によく「なつける」ように、指を伝うように打つことが大切です。

【つまり、知新流も滑走打法であるということか】

■手裏剣を打つときに、自分の手の先に的=相手が見えるように心得て打つことです。

■手裏剣を打ち出す時は、踏み込む足が手裏剣よりも先に出ることは良くありません。手裏剣の打ち出しと足とが、同時になるよう踏み込むことです。

【前回に意訳した伝書の前段にも、たびたび、足の踏み込みと打剣=腕の振りの一致の大切さが強調されている。市村おもえらく、手裏剣の場合、手離れの位置が剣術の斬撃の際の、最大力点よりもはるかに高い。このため、剣術に熟達した者ほど、当初は手離れの感覚がつかめず、適切な打剣にならない。この辺りの問題を正しく修正するために、踏み込みと手離れの一致について、繰り返し、強調しているのではないだろうか】

■打剣の際には、親指が手のひらから離れないように心得て打つことです。親指が滑ると手裏剣は横になって的に当たってしまいます。また手裏剣の手離れが遅いと剣尾が上になって当たってしまいます。

■懐剣を「手裏剣に打つ」ことを教える際には、手の内の指導が大切です。またその際の目付けは、相手の鼻よりも下に当たるよう心がけなさい。

■懐剣や刀は、手離れを遅めに打つように心がけましょう。

■懐剣の目付けは、鼻よりも下を打つ心積もりです。しかし胸よりも下にならないようにしましょう。


■「剣に十分一の剣」という教えは、重たい手裏剣と軽い手裏剣を入れ違いに、ランダムに続けて打つ稽古をすることです。

■丸いものを「手裏剣に打つ」には、親指、人差し指、中指の3本をかけて打ちなさい。

■居打は、手裏剣を打ち出す際に、意識を少し的の上にして打つことです。


■常々、足の踏み込みを第一に考えて稽古しなさい。初心者に教える際には、的に向かって右足を踏み込みますが、手裏剣をもった腕を振り上げ、打ちかかる時に足を同時に踏み出します。足の踏み込みが手裏剣の手離れよりも早いのはダメです。

■上下左右に刺中が乱れる人は、狙いのつけ方が悪いのです。

■足の踏み込みは、普段の歩幅よりも二足長ほど広く踏み出すことです。また右足を踏みつけて打つのもいいでしょう。左足はかかとをやや浮かせるようにしましょう。いつでも、足は軽く踏むことです。

■間合いが遠い場合は、反転打で打ちます。その際、手離れの時に指先でやや剣先を押さえるようにしなさい。

【原文の冒頭は、「遠間はさかに剣を取り」。つまり反転打。すると、当然、近間は直打ということである。ただし、どこまでが近く、どこからが遠いかは示されていない】

■稽古の際は、左の腰に手裏剣を5本収め、一本ずつ取り出して打つことです。左腰に手裏剣を収めるのは、手裏剣を打ったらすぐに、刀の柄に手を掛ける動きを、体に覚えさせるためのものです。

■ただし、手裏剣を5本収めていても、1本打ったらすぐに刀の柄に手をかけることを常に念頭に置きなさい。これは刀の鯉口を持つ心構えと同じです。

■当流には「甘シヤウ剣」というものがありますが、これは一子相伝のことなので、印可をしたといっても教えてあげることはできません。

■標的の大きさを約12センチ×約15センチとしたのは、当流の創始者である飯嶋氏竹村与右衛に弟子が、「的の大きさは、どれくらいがいいっすかね?」と聞いたところ、「12センチ×15センチぐらいがいいんじゃね?」と答えたので、そうしました。

■この印可の秘伝書は、あなたが手裏剣の稽古にことさら熱心で、稽古を怠らなかったのであげるものです。今後、だれかに手裏剣術を指導する際には、必ずその人の人柄を考慮して、むやみに教えてはいけません。

大和郡山之住士
流祖      飯嶋市兵衛
同        飯嶋源太左衛門
同        日置金左衛門
尾州之浪人  浅野伝右衛門
同国之住士  丹羽織江


■雑感

 今回の訳は、あくまでも意訳・新訳である。

 また祖述者である市村が重要と思ったこと、意訳可能なもののみを記述しており、一部、不要と考えたもの、また市村の知識不足で意味が理解できなかったものは省いている。全体としては、原典の約90%ほどの意訳と思っていただきたい。

 さて、ひと通り訳してみて感じたのは、とにかく踏み込みと腕の振りの一致、踏み込みと手離れの一致を、たびたび強調していることである。

 これは、すでに書いたように、手裏剣術と剣術では、腕の振りと踏み込みにおける、全身の統一した力が最大限に発揮される場所が異なる点から、剣術に熟練しているであろう修行者に向けて、「手裏剣は手離れのポイントが高いのだから、それに注意して、全身の力の統一と踏み込みを一致させなさい」と、強調しているのだ。

 簡潔に言えば、気剣体の一致は、剣術も手裏剣術も同じだが、こと手裏剣術に関しては、気剣体が一致する瞬間のポイントが、剣術の斬りの際のポイントと異なる。それに注意しなさい! ということである。

 また、知新流は、宮本武蔵ゆかりの流派であるだけに、懐剣や刀(脇差)を手裏剣に打つ飛刀術についても詳細に、そのコツを示しているのが特徴であるといえよう。

 そういう意味で、懐剣や脇差を「手裏剣に打つ」という飛刀術は、日本武術古来の技であるにもかかわらず、現在の日本国内でこの飛刀術を実践し、かつ指導できるのは、おそらく無冥流と翠月庵のみであるというのは、いささか寂しいことである。


 さて、一方でこの『図解 手裏剣術』に掲載されている知新流の印可伝書が、どこまで本来の伝書に忠実であるのかは、やや疑問が残る点でもある。

 著者である藤田西湖が、本書に読み下し文としてこの印可伝書を収録する際に、若干の意訳をしているように感じるというのが、私の「直感的な」感想である。

 このあたりについては、本来、史家・研究家の仕事で、私のような実践者の役割をいささか逸脱しているともいえるのだが、その興味はつきない。

 いずれにしても、古流の伝書というのは、技のコツやヒケツの宝庫であるし、また往時の手裏剣術者の考えや動きを知るための貴重な資料であり、今を生きる武術・武道人そして未来の人々の共通の財産である。

 今後も機会があれば、こうした意訳・新訳に取り組んでみたいと思う。

(了)
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