『戸田剣術古武道史』を読む/(柳剛流)
- 2015/03/06(Fri) -
 剣術流派調査研究会・辻淳氏著の『戸田剣術古武道史』を読む。

 先に読んだ『幸手剣術古武道史』が、流祖・岡田惣右衛門奇良の生地である幸手周辺の柳剛流各師範家の事跡を中心に追ったものであるのに対し、こちらは現在の戸田市出身で、当流の代表的な剣客として名の知られた、岡田十内とその周辺の事績、また当流の分派という天自流について記されている。

 まだ前半までしか読了していないのだが、それでも興味深い内容が盛りだくさんである。

 たとえば、岡田十内の妻である鉄は女武芸者として、柳剛心道流という薙刀を表芸とした新流を開いており、当流は少なくとも二代・岡田柳まで伝承されていたこと。

 この柳剛心道流には、柳剛流の突杖がそのまま伝承されていたこと。

 後に直心影流薙刀術の中興の祖となった無敵の女武芸者・園部秀雄の義父・佐竹貫龍斎(後、監柳斎)は、一般的には直心影流剣術を学んだとされているが、実際には柳剛流を修めていた事など、非常に興味深い内容となっている。

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▲柳剛流の代表的な剣客である岡田十内について、詳細に記されている『戸田剣術古武道史』。ちなみに、永井義男著『剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む 』(朝日選書)で知られる、佐賀藩士で鉄人流の免許であった牟田文之助が、安政2(1855)年3月、十内の道場を訪れ、他流試合を申し込んでいる。牟田文之助の記述では、やんわり断られたとのこと。ちなみにこのとき文之助25歳、対する十内は63歳であった・・・


 夜、稽古。

 柳剛流の剣術形、切紙記載の「右剣」「左剣」から目録記載の「相合剣」までを、じっくりと復習。

 難しいが、しかし実に楽しい。稽古というのは、こうでないと(笑)。

 (了)
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