柳剛流の体術における殺法/(柳剛流)
- 2015/03/12(Thu) -
※)2015.7.2.20:44、本文を一部加筆・訂正しました。


 昨日で東日本大震災から4年となった。

 心に留めておこう。

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 昨日は空手道の稽古で、久々にミット打ちをみっちりと行う。いささか張り切りすぎて、調子に乗って上段廻し蹴りをバンバン蹴り込んでいたら、実は少々腰を痛めてしまった。歳はとりたくないものだ・・・。

 存分に突き蹴りを稽古したこともあり、帰宅してから辻淳氏著の『幸手剣術古武道史』を読みつつ、柳剛流の殺法についてつらつらと考えを巡らす。

 柳剛流は、流祖・岡田惣右衛門奇良が、廻国修行の際、三和無敵流を学んだことから、免許の教程において「七ツ死」「甲冑当」「組討」「一人剛敵」「法活」「「手詰伝」などの体術が伝授されていたという。

 なかでも流祖生誕の地である幸手で興隆した岡安伝の柳剛流では、上記に加えて「五眼の伝」「十三ヶ条の口伝」「活法」などの記述が増えており、「免許段階では体術を中心に学んでいた」(辻氏記述)という。

 『幸手剣術古武道史』がありがたいのは、幸手周辺での流儀の事跡を詳細に追っているだけではなく、柳剛流の伝書や添書などの資料が、豊富かつ網羅的に掲載されていることで、現在において当流を実習する者にとっては、実に貴重な資料である。

 柳剛流の体術について、私が学んでいる仙台藩伝には残されていないとのことである。一方で以前、宮城県古武道協会のホームページに「柳剛流柔術」との記載があったのだが、本ブログを執筆しようと先ほど再び確認したところ、その記載は削除されていた。

 そもそものところで、この「柳剛流柔術」が、岡田惣右衛門奇良を祖とする柳剛流に伝えられていた柔術なのか、あるいはその分派なのか、まったくの無関係なのか、そのあたりの状況が定かではない。

 しかし、この「柳剛流柔術」が、おそらくつい最近、流儀の伝承が途絶えてしまったであろうことを思うと、たいへん残念に思う。

 後は、三重県に伝承されている田丸系の柳剛流に体術が残されているのか、気になるところである。


 さて、『幸手剣術古武道史』には、岡安派の免許者である関口亥助が、師の岡安禎助正明より受けた、「十三ヶ条の口伝」という殺法についての添書が掲載されている。

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▲柳剛流に伝えられた殺法の添書。『幸手剣術古武道史』、P150より


 これを見ると、古流柔術の素養がある者であれば、大体、どのような殺(当身)が体術として行われていたのかは、なんとなく分かるであろう。いずれの殺点も、多くの柔術で伝えられている部位と共通している。

 一方で、この添書と大元となる免許の記載を付き合わせると、十三ヶ条の殺活点の名称が合わないものがいくつかあるのは、ちょっと気になるところだ。たとえば、伝書にある「天車」や「村雨」、「掛金」や「音当」といった場所は、添書きには見当たらない。

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▲こちらの免許は岡安禎助正明が伊藤正守に出したものだが、「十三ヶ条の口伝」の記載内容は関口亥助が受けた免許と同一である。『幸手剣術古武道史』、P195より


 添書や免許の記載を見ると、柳剛流の殺法がどのようなものであったのか、うっすらと見えてくるようだ。

 なかでも、添書きに描かれている「如比五ヶ所大当」というのは、特に重要な当身の部位というような意味であろうか。天見、人中、秘中、水月、気海と5ヶ所の殺点が示されている。

 殺法といえば天神真楊流がよく知られるが、柳剛流の体術における「天見」は、天神真楊流で言うところの「天倒」、「気海」は「明星」であろう。その他の部位の名称は、天神真楊流も柳剛流も同じであることも興味深い。

 天見は拳鎚や拳、人中は柔術系の指の第二関節部を当てる拳または底掌、秘中は襟首を取っての親指先、水月は拳や柄頭当、気海は蹴当てであっただろうか・・・。

 いずれにしても、一度失われてしまった武技は、もう想像の中にしかありえない。

 先人が心血を注いだ技芸の数々が、次々と失われていくのは、武術を愛する者としてなんとも悲しい事である。

 (了)
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