好戦的な平和主義者とケンカ自慢の武術・武道人(改訂版)/(時評)
- 2009/03/31(Tue) -
 北鮮の長距離弾道ミサイルの話題が、なにげに皆さん気になっているようですな。

 たよりのアメちゃんに、「俺んちに落ちてこないなら知んないよ~」と言われたのが相当ショックだったのだろうかね?

 しかし、笑っちゃうのは、本気でMD(Missile Defense:ミサイル防衛)なんていうものが機能するとか思っているのかね、日本人は?

 さらに言えば、そもそも今から数十年以上も前から、大陸の人民解放軍は長距離弾道ミサイルと、それに搭載可能な核兵器を大量に持ち、それらを東京その他の日本各地の主要都市と在日米軍基地を標的としてスタンバイしているというのは、国際社会の常識である。

 つまり、いまさら北鮮あたりがWWⅡ当時の原始的な原爆も搭載できるかできないか分からんような、ちゃらい弾道ミサイルをおためし気分で飛ばしたからとて、騒ぐにあたらないわけです。日本という国の核攻撃に対する弱さはもちろん、特定アジア諸国の核兵器による脅威は、別に昨日今日、始まった問題ではないのだから。

 そもそもテポドン以前に、日本の大部分が射程に入る中距離弾道ミサイルのノドン(150~200基)は、とっくの昔に実戦配備されているんだしさ。これらでミサイル飽和攻撃されたら、MDで迎撃しようもないでしょうに・・・。

 こうした点について、なんで政治家や防衛官僚、あまたの軍事評論家が指摘しないのか? 

 まあ、利権・予算・日々の生業など、大人の事情というやつですな。

 今の日本に必要なのは、飛んでくる手裏剣を手裏剣で打ち落とそうとするようなMDなんかではなく、十分に掩蔽されダイレクトヒット以外であれば高い生存性を持ち、放射能に周辺が汚染された後もしばらくの間は避難した地域の人々が、安全かつ健康な生活を送ることのできる抵たん性を持つ、シェルターなどの地下施設を全国に整備することである、というのは兵頭流軍学を志す者にとっては「いろはのい」である。

 国民保護のための大規模な対NBC兵器用のシェルター建設は、スイスでもスウェーデンでもやっている、しごく当たり前のことである。たぶん、最終的なコストも、MDよりはるかに少なくて済むだろうし、なにより防御目的のみの、究極の専守防衛政策である。

 これに文句をつけてくるような国(たとえば中共とか北鮮)があれば、その国こそまさに侵略国家であろう。

                      ※   ※   ※   ※

 さて、それにつけても、てめえの頭でまともに考える習慣のない人々は、右も左も(そもそもこうした思想的色分け自体が、いまさらたいへん陳腐なのだが…)、今回のような事態に直面すると、その本性がひょいと顔をのぞかせるものだ。過剰なナショナリズムに走る者がいるかと思えば、幻想的な脳内平和主義を声高に唱える者もいる。

 ここで興味深いのが、一般的に平和主義、非戦・反戦主義と言われるような人たちの、意外な好戦性である。

 戦争に反対で世界平和を愛好する人々が、なぜか自衛官や警察官、あるいは公務員などに対しては、妙にいけだかだったり、差別的であったりする。それどころか反戦アピールのデモなどで、警官相手に大暴れしている平和主義者の皆さんは、どうみても「嬉々としてデモでの小競り合いや荒事を楽しんでいる」ようにしか見えないのは私だけだろうか?  国際問題のシンポジウムなどで、声を荒げて相手を威圧するように持論を展開する反戦論者・平和主義者も少なくない。

 また、これはあくまで私の経験知の範囲なんだけれども、こうした人々の中に、三十路、四十路を越えてまでも、ちょっと酒でも入ろうものなら、ケンカ自慢の武勇伝を得意気に語るような者がいるわけだ・・・。

 基本的に30才や40才にもなって、日常生活で暴力をふるっている時点で、社会不適合者である。

 しかもその御仁が武術・武道関係であったりすると・・・、もう目も当てられません。

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 市村思うに、本来、「暴力」という行為それ自体には、善も悪もない。

 近代法治国家である日本国の刑法でも、人が生まれながらに持つ自然権の一部として、急迫不正の侵害に対する「正当防衛」や、自身が生存するためにやむをえない場合の「緊急避難」が認められている。

 ありていに言えば、突如、襲い掛かってくる武装した強盗犯には”適切な範囲の暴力”で反撃してかまわないし、太平洋のど真ん中で一人乗りの救命ボートを自分と誰かが奪い合う状況では、相手を海に叩き落す(結果として、相手を殺害することになる蓋然性が高い)ことも認められているわけだ。

 しかし、こうした自然権としての暴力も、それを明確かつ客観的に規定し、しかもそれを共同体内の人々が共通の理解として認知していなければ、それは時に恣意的な暴力の乱用につながってしまう…、というのは人類500万年の歴史で、われわれ「パンツをはいたサル」(R栗本慎一郎)は十分、学んできたはずだ。

 なかでも日本人は、その教訓をほんの60年ほど前までの旧軍の暴走(ちなみに暴走したのは、なにも陸軍だけではない。アメリカとやる気まんまんだったのはむしろ海軍の方であるし、マスコミや一般市民の多くも、極めて好戦的であったのが事実である)で、改めて学んだわけだ。

 300万人の命の犠牲を代償に・・・。

 ゆえに、こうした歴史の教訓によって改めて、強大すぎず、しかし弱小すぎもしない適切な、しかも文民によって確実に統制された武力=防衛力=軍事力を保持すること。さらにこれに加えて、戦前の5.15事件や2.26事件、大陸での事変などに見られた軍部の暴走に対する抑止力として、”第4の軍隊”とも呼ばれる警察軍(フランスにおけるGendarmerieなど)の創設こそが、敵にも我にも、ひいては世界全体の平和にも有益であることを学んだはずなのだが…。

 残念ながらこの国の人々は、「汚れ仕事はアメちゃんに任せて、おれらは平和に飲んで食って遊ぼうヤ」という、ヘタレた「エセ近代市民」になってしまったというわけだ。

 21世紀の世界で、ことに台湾やフィリピン、ベトナムやマレーシア、インドネシアやパキスタンなど多くのアジアの国々に深刻な脅威を与えている中共や北鮮の軍拡は、この地域の平和維持に60年以上に渡ってなんら貢献してこなかった、日本の責任であるといっても過言ではない

 こうした歴史的誤謬の要因は、戦争や平和といった問題を明確に捉えて客観的に評価・検討せず、情緒的な気分のみで「センソウハンタイ! ヘイワサイコー!」と叫んできた、日本人の本質的な論理能力の欠如にあるともいえよう。

 事象に対する論理的把握能力の欠如や、その場の情緒(気分)を論理にすりかえるという傾向は、「好戦的な平和主義者」や「ケンカ自慢の武術・武道人」にも共通する、われわれ日本人が抱える根本的な欠陥なのかもしれない。

 (了)

追記
今日の午後3時になって、「北鮮がノドンに搭載可能なほどの、核兵器の小型化に成功か?」という報道が時事電で流れた。このタイミングというのは、まだまだMD関連で日本から金を搾り取り、なおかつ日本に核武装をさせないようにしておこうという、A国国防総省筋あたりの意思を感じますな。

ちなみに情報元のNGOであるInternational Crisis Groupは、英国系の組織。昔から謀略大好きなお国柄なんだよねえ、あの国は・・・。

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