『角田地方と柳剛流剣術-郷土が誇る武とそのこころ-』を読む/(柳剛流)
- 2015/04/25(Sat) -
 柳剛流に関する最も新しい資料として、南部修哉氏が昨年11月に発行した『角田地方と柳剛流剣術-郷土が誇る武とそのこころ-』という書籍がある。

 これは国立国会図書館の検索エンジンで見つけたのだが、非売品ということで未見であった。そこで先日、都内の大学病院で単純性腎嚢胞の取材をした帰り、少し時間があったので国会図書館に立ち寄り、ようやく目を通すことができた。

 当初は、角田周辺での流儀の現状に関して、何か新しい情報があるのかと期待したのだが、残念ながらそういった記述はなかった。

 筆者の南部氏は、父親の南部雄哉氏が角田系柳剛流の目録受領者であったとのことで、ご本人も相当剣道に親しんだとのことである。しかし柳剛流については、実技を父君から学んだということはなく、流儀の実技はご存知ないとのことである。

 なお、同氏は現在神奈川県にご在住とのことなので、角田周辺で柳剛流の実技を知る人、稽古をしている人がもはや皆無であるのかどうかは、いまだ一考の余地があるのではないかと思う。

 さて本書は、角田地方に伝承された柳剛流の歴史について、従来の資料以上に詳しく記されており、特に江戸期・角田での柳剛流の殿堂ともいえる成教書院での伝承や、明治から昭和にかけての旧制角田中学校での流儀の教導に関する記述などは、たいへん興味深いものであった。

 なかでも一部資料の中で、角田系柳剛流宗家4代目の泉富次の最初の師とされている宍戸貢について、天保年間に記された『諸芸師範届』では能楽・大鼓の師範となっており、柳剛流の剣士ではなく「単なる武技全般を教える部署の責任者であったのではなかろうか」と推察している点は、新しい知見として押さえておくべきだろう。

 また巻末には、南部雄哉が大正13(1924)年に、旧制角田中学校剣術師範で柳剛流の皆伝者であった齋藤龍三郎から受けた切紙と目録が掲載されている。

 齋藤龍三郎は、角田系柳剛流宗家4代目・泉富次や5代目宗家・泉丁三郎から教導を受けて免許皆伝にいたった人で、明治45(1912)年から昭和8(1933)年まで、旧制角田中学校の撃剣師範を務めた人物である。なお旧制角田中学校では、明治31(1898)年の撃剣科発足以来、師範は代々、柳剛流の皆伝者が採用されてきたという。

 私の学ぶ仙台藩伝柳剛流の大師匠(師匠の師匠)は佐藤健七師であるが、健七師の師匠は実父の佐藤金三郎師であり、この金三郎師の師匠が泉富次に当たる。

 こうした観点から、齋藤龍三郎が南部雄哉に出した切紙と目録の形の名称などを、今、私が学んでいるものと比較すると、切紙の剣術形である「右剣」や「左剣」、居合形5本、突杖、さらに目録の柳剛刀6本など、一部の漢字表記の差異を除いて、名称や本数などは全て一致している。

 伝系が同じなのであるから、当然といえば当然なのだが、こうした点を伝書できちんと確認できるということは、正しい古流の実技をきちんと伝承し、次代につなげていく上で、たいへん重要なことである。

 逆に言えば、こうした確認行為ができない流儀やそこで指導される形というのは・・・・、ま、みなまで言うこともあるまいね。

切紙_150425_165910
▲切紙

目録_150425_165942
▲目録


 本書について、今回著作権保護で認められている範囲での複写をしてきたが、資料としてたいへん貴重であることから、著者の南部氏に連絡を取り、ぜひ一冊購入させていただこうと考えている。

 ところで今回、柳剛流に関して、さらに意外かつ興味深い資料を偶然見つけることができたのだが、それについては、また次回。

 ※文中一部敬称略

 (了)
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