柳剛流の柄/(柳剛流)
- 2015/04/29(Wed) -
 はじめに記しておくと、私は刀の目利きをはじめ、拵えや刀装等については、あまり詳しくない。以下はあくまで、そういう武術人の記しているものということで、ご容赦いただきたい。


 さて過日、深井派柳剛流の師範家であった深井家をお訪ねした際、自分は柳剛流を稽古しながら流儀の歴史や伝承などについて調べている者ですと挨拶をすると、「柳剛流で使う刀は、柄が違うのですか?」と、逆に質問をされた。

 私自身、柳剛流に関しては稽古も研究もいまだ浅学ゆえ、「そういう話しは伺ったことがないのですが・・・」と答えるしかなく、この話題はそのままになった。

 そして先日、国立国会図書館で調べ物をした際、図書の貸し出しの待ち時間に、柳剛流について同図書館のデジタルライブラリーを検索すると、「柳剛流の柄」というタイトルの古い記事があった(ちなみにこの記事は、館内PCでのみ閲覧可となっている)。

 これは今から50年以上前の昭和39(1964)年11月に、刀剣保存会本部が発行した『刀剣と歴史』(第422号)に掲載された記事で、筆者は山下春剣という人物である。

 以下、その記事の主要部分を引用しよう。

 この流派を学ぶ者は、刀の拵えまで直した。それが柳剛柄と呼ばれるものである。特色としては、柄頭の握りが張り、縁際の打込みが太くなる。従って柄の中間部がくびれて細く見える。斯くして柄のスタイルは一段とスマートさを加えて来て学ぶ者も学ばざる者も、等しくこれに憧れた。
 これが今日、愛刀家の好む「リュウゴ柄」と呼ばれるもので柄頭の金具の大小により、下部に張るを片リュウゴ、上下に張るを諸リュウゴと呼ばれた。この流儀は、今日古武道より姿を消し北辰一刀流、小野派一刀流、神無念流、直心影流に名剣士と称される先生方が現存する。柳剛流は惜しくも、刀の拵えにかっての映光(ママ)を残しているだけである。


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▲当該記事のコピー。ちなみに、この『刀剣と歴史』という雑誌は、現在も発行されているとのこと

 以上、引用終わり。


 刀の柄の形として、柄の中間部を絞って鼓形にしたものを「立鼓(りゅうご)」と呼ぶということは、私も以前から知っていたけれど、それは柳剛流特有の拵えからきたものであり、「立鼓」→「リュウゴ」→「リュウゴウ」→「柳剛」なのだというのは、なんとも驚きである。

 さてこの説、どの程度信憑性があるのだろうか?

 掲載されている記事には、出典や参考文献などに関する記述がないので、この逸話のエビデンス(根拠)がどのようなものか、現状では知るすべもない・・・。

 
 また当流の実技を武術として学ぶ者の立場からは、「往時の柳剛流剣士は、なぜこのような形状の柄を好んだのか?」という点についても、多いに興味が湧くところである。

 いまさら言うまでもなく、刀の柄というのは、武具と使い手との接点となる、非常にデリケートな部分である。その形状については、流儀なり個々人としての剣士なりの必然性がなければならない。

 だからこそ、なぜ柳剛流の使い手たちは、柄中を絞り上下を張らせた「リュウゴ柄」を好んだのかという点は、刀装史以上に、武術としての実技面からも、たいへん重要な点なのである。

 なおこの点について私なりの推論があるのだが、それは流儀特有の運足や体動に深く関連することだけに、ここでは伏せておく。

150429_岡田十内刀
▲戸田市立郷土博物館所蔵の、柳剛流を代表する剣客・岡田十内の差料。刃長は3尺8分、切先は諸刃造り。写真を見る限り柄は1尺以上あるようで、形は確かにリュウゴになっているような、いないような・・・。現物を間近で見てみないと、なんとも言えない


 「リュウゴ柄」=「柳剛柄」というこの話し、刀装や拵えに詳しい方々はどのようにお考えだろうか・・・。

 (了)
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