翠月庵の礼法/(武術・武道)
- 2015/05/13(Wed) -
1309_6周年


 昨日のブログでは、『姿勢と礼法』について、私見を記した。翻って、我が翠月庵の礼法はどのようなものか、改めてここに記しておくことも無駄ではあるまい。

 まず当庵は、手裏剣術を基盤とした武術の「稽古会」であり「流儀」ではない。

 このため伝統的な流儀のような細かな礼法は定めていないが、開庵時より武術人として常識の範囲内での礼法は一通り定め励行している。

 なお、当庵の会員諸子、あるいは定期的な講習会で手裏剣術を指導させていただいている皆さんは、いずれも何らかの武術・武道の有段者や師範であり、武術・武道の未経験者や初心者は皆無なことから、普段、改めて武術の一般的な礼法についてこまごまと指導する必要がないことも、また事実である。

 当然ながら、まったく武術・武道未経験の人が入庵した場合、まずは礼法と稽古中の立ち居振る舞いから指導しなければならないが、幸か不幸かこうしたケースはこれまで1例しかなかった(体験や見学の人には、礼法は指導しません)。


 さて、当庵の稽古は野天で行うため、日常的な礼は立礼となる。立礼には真・行・草があり、「正面」への礼は真、「相互」の礼は行である。また講習等でお招きした方や他流も含めた師範等に対しての礼は、真で行うことは言うまでもない。

 礼の真・行・草が分からないという人は・・・・、お茶の先生に聞いてください。

 なお当庵では、個人の宗教的自由を尊重する観点から、普段の稽古では「神前」への礼は行わず、「正面」への礼にて代替している(奉納演武や参拝、他流・他会派への出稽古の際は、この限りではない)。

 また、例外的に屋内で稽古を行う場合は、当然ながら座礼を行う。この場合も、真・行・草の座礼の別があることもまた同様である。

 
 さて稽古時には、開始時の「始礼」と終了時の「終礼」のみを行い、たとえば打剣の際、いちいち的に向かっての礼は行わない。

 これは、本ブログでも以前から度々ふれているように、武術としての手裏剣術の稽古という点を鑑み、鳥取藩一貫流弓術の「的は敵なり」という教えについて、私なりに敬意を表し当庵の礼法のひとつとして取り入れさせていただいているからである。

~射場に進み的に向ひ礼拝するは何が故か解し難し。神国なれば何処にも神 が存するとするか。最初垜建設之際其の手にて払ひ清めてある筈なれば国民 が武技研究する場所に神がうかうかと存す筈がなし。精神の修養を為させて貰う為とするか。武人は射場に立ちても行往座臥精神の修養は為し居るものの筈又神に祈りて上手に成りたく祈らずば下手になると云ふ様な虚弱な精神 にては物の用に立つこと薄し。的は即ち敵なり。敵に対し敵を得るか敵に得らるるか業を研究する場所に拝礼は不要なり~/ 鳥取藩一貫流弓術 (鳥取大学弓道部誌「矢心」より) 森太志/http://www.hello.ne.jp/tes/Ikanryu/gaisetu01.htm


 一方で、稽古開始時・終了時の正面と相互への礼は、稽古をさせていただく「場」や共に研鑽させていただく先達・同輩・後輩への感謝の礼であり、危険な武具を取り扱う稽古の開始・終了への精神の位取りである。また、体育館や稽古場等への入退室時は、草の礼を行う。

 武具に対する礼としては、刀剣類については稽古時、最初の帯刀時と最後の脱刀時に刀礼(立礼または座礼)を行う。

 一方で手裏剣については、特に礼法は定めていない。ただし、「跨がない」「踏まない」「乱暴に扱わない」「他者に切先を向けない」など、武具として常識の範囲での取り扱いは、初心者の場合には留意して指導している。


 そのほか、稽古途中から参加するものは稽古着を着装の上、代表者が声をかけるまで起立あるいは着座して待つ。稽古中は禁煙、人の前は極力横切らない、刀や手裏剣を使っている人の直後は通らない、的に刺さった剣等を拾っている人がいる場合打剣はしない、などといった立ち居振る舞いがあるが、これらについても武術・武道の稽古をしている者であれば、常識の範囲であろう。


 以上、当庵における礼法や基本的な立ち居振る舞いについて概説したが、これらは武術・武道経験の無い人にすれば、こまごまとやかましいことかもしれないが、武術・武道人であれば普段から空気のように当たり前に行っていることであり、いまさら意識する必要もないほど日常化したものであろう。

 逆に言えば、この程度の礼法が習慣化・日常化していないようでは、まだまだ素人の領域から脱していないヒヨコである。

 なお注意したいのは、これは礼法に限らず所作や業前についても同様だが、武芸において「正しい行い」は流儀・会派によって千差万別であり、「これが絶対」というものはないということだ。

 刀の柄の握り方ひとつとってもA流で可とされることがB流では不可とされ、刀の床への置き方ひとつとってもC流では良い礼とされることがD流では非礼とされることがある。

 ことほどさように、日本の伝統武術は身体文化として多様であり、豊かな広がりを持っているとも言えよう。

 その上でひとつだけ、あらゆる流儀や会派に共通する、絶対的な礼法と所作の共通原理がある。

 それは、他者への敬意である。

 これさえあれば、多少の所作の未熟さや不合理さも許されるであろうし、無用な諍いを引き起こすこともない。

 逆に言えば、どんなに有職故実に則った格式のある立派な形の礼を尽くしたとしても、贅を凝らした接待をしても、その心根に相手への敬意がなければ、それは虚礼であり、非礼であり、結果として「無礼」となるのだ。

 改めて、これを忘れることなく日々の稽古と生活に臨まねばと、自戒を込めて結びとしたい。

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
| メイン |