手裏剣術の致命的な欠陥~私の稽古履歴から/(手裏剣術)
- 2015/05/15(Fri) -
 武術とは、対人攻防の術技体系である。

 だからこそ、

「“武術としての手裏剣術”を志すのであれば、対人攻防のある何らかの武術・武道を必ず併習しなければならない」 

 と、私は翠月庵の開庵以来、一貫して主張してきた。


 さてここで、道行く人に「あなたはいままでの人生で、何回くらい殴りあいをしたことがありますか?」と尋ねたとしよう。

 多くの場合、「学生時代に喧嘩をして・・・、2~3人」などというのが一般的であろう。

 もちろん、「生まれてこの方、人を殴ったことなど一度もありません!」という君子も珍しくないだろうし、逆に「若いころはヤンチャしていたんで、20~30回はある!」という街の豪傑もいるであろう(笑)。

 では、これが武術・武道人となるとどうなるか?

 私自身を例にしてざっと計算すると、これまでの殴り合いの経験は、かなり少なめに見積もって延べ4,200回くらいになる。

 つまりこれまでの人生で、私ごときレベルでも、少なく見積もって述べ人数で4,200人ほどと、自由攻防での殴り合いを経験しているというわけだ。

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▲平成14(2002)年、G流空手道全国大会での組手試合。不肖・市村32歳(写真右)、まだ茶帯・・・


 これはなにも、特別珍しい数ではない。

 むしろ伝統派空手道の有段者(経験16年)としては、かなり“ぬるい”レベルだと自覚している。

空手緑帯時代合宿
▲緑帯なので、多分、平成12(2000)年頃の、空手道夏合宿での組手稽古。不肖・市村(写真左)、まだまだ若い30歳


 一般的な伝統派空手道の町道場では、1回2時間の稽古のうち、まずはじめに基本稽古、次いで形稽古、最後に15~30分ほど組手の稽古を行うというのが一般的だろう。

 組手の稽古では、約束組手とは別に、1回15~30秒くらいで元立ちなどを立てて、相手をとっかえひっかえしながら5~10人くらいと地稽古や掛かり稽古、あるいは試合稽古など、各種の自由組手を行うことが多かった。

 このように1回の稽古で5人と組手をするとして、週2回の稽古では延べ10人と組手をすることになる(これは、かなり少なめに見積もった数字であるが)。

 1年間は52週だが、休みなどもあろうから年間42週として、週2回の稽古では年間で合計84回。1回の稽古で5人と組手をするとして、1年間で延べ420人(回)と組手をしたことになる。

 普通、伝統派の空手道で社会人の生徒が初段の黒帯を取るためには、週2回程度の稽古だと、2~4年くらいはかかるだろう。となると、4年間では延べ1,680人(回)と組手=殴り合いを行ってきたことになるわけだ。

平成14年全国大会
▲平成14(2002)年、G流空手道の全国大会にて。形で優勝、組手で準優勝となりご満悦の不肖・市村32歳(写真中央)。といっても茶帯時代なので、有級の部なんだけどネ(苦笑)


 繰り返すが、この4年間で延べ1,680人(回)との組手=殴り合いの数というのは、あくまでも少なめに見積もっての数字である。

 私は、平成11(1999)年、29歳の時に古流武術の稽古を中断し、改めて空手道に入門、4年がかりでようやっと初段となり、その翌年に弐段を取得。

 その後は万年弐段の向上心の低い空手人として(苦笑)昇段審査を受けることなく、平成22(2010)年ころまで、足掛け10年ちょっとの間、週2回程度の組手のある稽古を行い、年3回ほど試合に出てきた。

 この間を合計すると、ピンは全日本空手道選手権準優勝で現役のナシュナルチームメンバーの若先生や、元日本代表で世界選手権出場者経験のある壮年の先生から、キリは白帯の学生さんまで、ざっと延べ4,200人(回)を相手に、殴る蹴るの経験をしてきたことになる。

平成15年全国大会
▲平成15(2003)年の、G流の全国大会にて。前年に引き続き2年連続形優勝、組手準優勝となり、再びご満悦の不肖・市村33歳(写真中央)。といってもこれまた茶帯時代で有級の部である。ちなみに形・組手とも参加したクラスで最年長&一番のチビであり、当時のニックネームは「小さな中年の星」と、まるで往年のグラン浜田のようであった(爆、しかしマジである)


組手075
▲平成15(2003)年の夏、有段者となったため、翌年の大会からは一般有段者の部に数年間出場したが、形も組手も3回戦が最高成績であった。なにしろ学連の現役選手やらナショナルチームの選手など、バケモノみたいな人々が出るクラスなので、街の中年空手家としては、当然っちゃあ、当然の結果である(苦笑)。写真は平成19(2007)年のG流空手道全国大会。一般男子有段者の部での組手試合。不肖・市村、いささか疲れてきた38歳


 このように、一般的な日本人が生涯にせいぜい数人程度としか殴りあいをした経験がないであろうことに対し、町道場の中年有段者レベルの空手人である私でも、少なくとも10年間で約4,000人との殴り合い、約4,000回の対人自由攻防の経験があるわけだ。

 こうした対人攻防の経験数は、別に空手道に限ったものではない。たとえば、剣道などでも同様である。

 町道場で週2回程度稽古をしているごく普通の無名剣道家でも、1回の稽古で5人や10人を相手に地稽古や掛かり稽古をするのは当たり前であろう。

 すると、やはり10年もやっていれば、延べ3,000人や4,000人程度の相手との打ち合いの経験を積み重ねたこととなる。

 あるいはまた、これは自由攻防ではないが、相対での形の稽古を主体とする合気道や少林寺拳法、古流剣術や柔術などもまた同様である。

 10年も稽古をしていれば、延べ人数で3,000人(回)や4,000人(回)程度の相手との形稽古、つまり対人攻防の経験が積めるのは、合気道でも古流柔術でも、あるいは古流剣術でも、ごくごく当たり前のことなのだ。

中学B
▲昭和58(1983)年、八光流柔術伊豆道場新年演武会にて、半座半立技で投げを打つ不肖・市村、坊主頭の13歳(写真右)


 私自身、空手道の稽古を始める17年前の昭和57(1982)年、12歳から柔術と古流の剣術・抜刀術の稽古を始め、その後、現在に至るまで足掛け34年、稽古を続けている。

 このため概算だが上記のようなカウントで計算すれば、空手の稽古での4,000回以上の対人攻防とは別に、さらに最低でも4,000回やそこらは、剣術や柔術の稽古として他者と剣を交え、あるいは取っ組み合いをしてきているわけだ。

 しかしこれもまた、古流武術を専科として日常的に厳しい稽古をしている皆さんからすれば、私の稽古数や質など、まだまだ“ぬるい”レベルであると自覚している。

 なにしろ、34年間で述べ8,000人との稽古と言えば大層に聞こえるが、1日で割ればたった1.5人と稽古をしてきたに過ぎないからである。

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▲多分、昭和61(1986)年頃、剣術稽古中の不肖・市村翠雨。紅顔の美少年と言われた17歳・・・


 ましてや伝統的な日本の古流柔術には数稽古や段捕、古流剣術には立ちきりといった、とんでもなく過酷な稽古があるので、長年に渡り古流を専門とした先達の皆さんが行ってきた稽古の厳しさや経験の深さは、私など到底及ばないものなのだ。

 いずれにしても、私ごとき市井の凡庸な武術・武道人でもこれまでの武術人生で、まあざっと合計して8,000回くらいは、こちらの意思とは無関係に動き回り攻撃や防御をする人間を相手に、殴りあうなり、取っ組み合うなり、剣を打ち合うなりしてきた。

 その上で、未熟ながらも自分で稽古会を主催し、あるいはブログなどで武術論を書き飛ばしているわけだが、いまだに人間を相手にする武術というものの難しさ、厳しさ、そして奥深さを、日々実感している。

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▲平成27(2015)年、水月塾演武会にて、師と共に柳剛流剣術の形を奉納する不肖・市村翠雨(写真右)・・・・・・、年積もって45歳。剣術の形では、打太刀が仕太刀の業を引き立てる対人攻防を通して、剣の理合を体得する


 さて、そこでだ。

 冒頭の私の言葉に戻るわけだが、手裏剣術をはじめ、弓術や印字打ちなど投擲術の致命的な欠陥は、稽古の主体が的打ちであるために、武術に必須である対人攻防の経験が積めないことである。

 残念なことだが、泳ぐことしかできない魚には、空を飛ぶ鳥の動きや気持ちは分からない。

 対人攻防の経験の無い投擲術者には、人と人が自由に闘争を繰り広げる“武術”というものの、本質的な理合や哲学は理解しがたいのである。

 ゆえに繰り返し何度でも強調するが、

“武術としての手裏剣術”を志す手裏剣術者は、必ず対人攻防のある何らかの武術・武道を併行して学び、的打ちの稽古だけでは理解することのできない、間積り、拍子、位、先といった武術の根本原理を、頭だけでなく体で理解・習得する必要がある


 のである。

 なお蛇足ながら、遊戯やレクリエーション、その他武術以外の目的として手裏剣を投げるのであれば、対人攻防の経験など必要ないことは言うまでもない。

 思う存分のびのびと、手裏剣投げを楽しめばよいだろう。

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~鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。聲ある者は幸福也~(斉藤緑雨)

 (了)
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