放哉的泥酔の記/(身辺雑記)
- 2015/06/07(Sun) -
 仕事柄、初対面の相手と膝つき合わせて2~3時間も1対1で話しをすることがあるかと思えば、自宅にこもりっきりでひたすら原稿を書き、まる2日間、一言も口をきいていなかったなどということもある。

 なんとも極端な生活だが、それもまた人生。

 かの六無斎先生は、

 「親も無し妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」

 と詠ったが、まさにそんな暮らしを、誠意実践中だ。

 おまけにここしばらく多忙で、日々の稽古もままならないこともあり、ストレスがたまる。

 そしてストレスがたまれば、我々、「酔っ払い村」の住民は、当然ながら酒を飲むのである。

 尾崎放哉のように・・・。



 俳人・尾崎放哉といえば、中学生の教科書にも載っている、「咳をしても一人」という自由律句で有名だが、この人の句の良さはもっと別の所にあるし、なによりある種の書簡文学ともいえる残された400通以上もの手紙が、私のようなダラシナイ酔っ払いにとっては無類に面白い。

 旧東京帝大を卒業し、超エリートサラリーマンとなった放哉だが、最終的には瀬戸内の小豆島にある庵で、孤独と貧困、栄養失調と結核にさいなまれながら、42歳の厄年で生涯を終える。

 一方で、その死の直前、1~2年の間に詠まれた句の数々はいずれも傑作として読み継がれ、今も私のような偏屈で酒癖の悪い中年男の心の渇きを潤してくる。その孤独で透明な、人生の悲哀に満ちた自由律句の魅力は、子供や若者、そして下戸には分かるまいね。

 なにしろ放哉が世間からも、家族からも、多くの知人からも見放され、孤独に死んでいった原因というのは、その酒癖の悪さなのだ。いや「癖の悪さ」などという生ぬるいものでなく、それはようするに「酒乱」であった。

 放哉の悪酒は、酔って暴れたり暴力を振るうというようなものではなく、帝大出の鋭敏な頭脳で時に辛辣に、時にネチネチと、相手かまわず他者を揶揄する、からみ酒であったらしい。

 平素は無口で温和な人なだったというだけに、そのギャップも大きかったのだろうが、職を失い、人の縁も切られるほどのからみ酒というのは、相当なもんである。

1506_放哉
▲岩波文庫版の『尾崎放哉句集』(池内紀 編)。放哉の句集は全集から文庫まで多数あるが、この岩波版が一番スマートで手に取りやすい



 さて、過日、30年来の友人と痛飲したあげく、完全にブラックアウトした。

 最近、どうもブラックアウトの頻度が高いのである。

 その後、くだんの友人からのメールで、

 「あんたとは、もう四半世紀以上も一緒に酒を飲んでいるが、昨夜はいままでで最悪の酒だったぞ・・・。消えた記憶をたどりながら、たっぷり自己嫌悪を味わえよな。ま、今度は楽しい酒を飲もうぜ」

 と諭された私としては、そんな放哉の人生が他人事とは思えない。

 生マレテ スミマセン・・・・・・。



 「わが顔ぶらさげてあやまりにいく」(尾崎放哉)

 「世間では独身男ほど楽しいものはないと言っているけど、それはまちがいだね。どうせただ年をとって、達者なだけで意地の悪いじいさんになるだけのことさ」(スティーブン・キング 『ザ・スタンド』)

 「飲むのなら自尊心を忘れないようにして飲みたまえ」(レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』) 


 (おしまい)
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