合気を外し、枕を押える/(武術・武道)
- 2015/06/20(Sat) -
 何事につけてもタイミング、拍子というものは大切だ。

 「なすべき時」の拍子を外してしまうと、本来なら容易にできるはずのことも誤ってしまう。

 これは、武術・武道に限らず、仕事にしても、人間関係にしても、買い物や調理・食事といった些細な日常生活の上のできごとにもあてはまるものだ。もちろん、色恋沙汰にもネ・・・・・・(苦笑)。

 逆に言えば、相手の「なすべき時」を外してしまえば、難敵の厳しい攻めも、未発のうちに容易に制することができる。

 いわゆる「合気を外す」というやつですな。



 合気の外しかたについて、一刀流の高野佐三郎師は、

 「敵強く来たれば弱く応じ、弱く出ずれば強く対し、青眼にて来たれば下段にして拳の下、上り攻め、下段にて来たれば青眼にて上り太刀を押える、というように合気を外して闘うを肝要とす」

 と教えている。

 そして、合気を外すことと同時に、枕を押えることもまた重要だ。

 中澤流神伝護身術の流祖である中澤蘇伯師は、その著書『護身術奥義』の中で「合気法」として、

 「敵我に気合を掛けんとし、或いは我を打たんとし、刃は害を加えんとする瞬前、我より先に気合を掛け、或いは打ち込み、或いは間合いを離れて機先を制し、敵が害を加ふること能はざらしむる法にして、柳生先生の所謂『降ると見ば、積もらぬ先に払へかし。柳の枝に雪折れはなし』に一致す」

 と記している。

 あるいはまた、『五輪書』火之巻の「枕を押ると云事」も、具体的な術の教えとして見逃せない。

 柳剛流でいえば、切紙の備之伝に対する目録秘伝の備フセギ伝がまさにこれに当たり、小佐野淳先生よりご指導いただいた際にも、「これらは合気を外すための術である」とお教えいただいた。

 以来、日々の稽古でも、「備えはフセギ、フセギは備え」という、対待と連環の在りようを具現化した柳剛流の「術」の深みを味わいながら、「古流の稽古は奥深いなあ・・・」と、しみじみ実感している。



 このように古流の武術では、合気を外し枕を押えるといった「術」は、ある種普遍的な教えであり術である。

 そしてまたこうした「術」は、手裏剣術においても同様に表現される。

 たとえば、帯刀している相手がまさに柄に手をかけて抜刀せんとする拍子に、手裏剣術者たる我は手裏剣を上段に構える。あるいはその後、機をみて相手がスラスラと刀を抜いた拍子には、我は上段に構えた手裏剣を持った手を、体側に下げて自然体に構える。

 手裏剣術者は、このようにして相手の合気を外し、枕を押えることができる。

 こうした術理を根幹にして表現した形のひとつが、たとえば翠月庵の刀法併用手裏剣術五本目の「鞘之内」である。

 しかしこのような理合は、手裏剣術を単なる隠し武器としてしか認識していない、あるいは的打ちの経験しかない術者には、残念ながら心身に根ざした具体的かつ根本的な感覚として理解することは難しいだろう。

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▲翠月庵の刀法併用手裏剣術五本目・「鞘之内」の形の相対稽古



 一方で、合気を外すことや枕を押えるというのは、達人のみが行える驚天動地な術、などとというわけでもない。

 柔道・剣道・空手道など対人攻防の試合のある現代武道であれば、当事者たちは無意識ながらも普通に行っていることでもある。

 たとえば市町村レベルの空手道の試合などで、中学生クラスの組手を見ていても、きちんとした指導を受けている生徒であれば、彼我の拍子と間合が拮抗して攻めあぐねてしまった際など、いったん間合を切ったり、ステップのリズムや構えを変えたりすることで「合気」を外し、あるいはフェイントなどを交えながら「枕を押え」ることは、ごく普通に行っている。

 このように、合気を外し枕を押えるということについて、競技武道では子供たちでも普通にしているということは、空手道に限らず剣道や柔道などに携わったことのある人であれば、皆さんご存知であろう。

 しかし、単なる的打ちや据物斬りのみの稽古、あるいは惰性的で緊張感に欠けた形稽古しかしていないようでは、このような初歩的な合気の外し方や枕の押え方も理解できないだろうし、体得することは難しいのである。



 競技武道については、スポーツ化や均質化の弊害、生涯教育や文化伝承としての指導体系の不備不足など、さまざざまな面で問題点も少なくない。

 一方で「競い合い」という、うそ偽りのない状況の中で、武の理合を自ずから体得せしめることが可能であるという利点は、現代の古流稽古者が見失いがちな、稽古上の大きな意義であると思うのは私だけだろうか・・・?

 少なくとも私は、自分の武術・武道人生の中で古流の稽古を一時中断し、10年ほどだが競技武道を行ったことが、今、そしてこれからの自分の古流稽古や手裏剣術の稽古に、大いに資していると実感している。

 (了)
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