ATG的昭和世界/(映画)
- 2015/06/26(Fri) -
 先日、某KO大学でルーチンのインタビューをした際、カメラマンのOさんと黒澤映画の話で盛り上がった。

 Oカメラマンは私よりも半世代かひと世代上の人だからか、「黒澤の『どですかでん』とか見ると、子供のころ過ごした昭和の景色のイメージを感じるんだよね」と話していた。

 そういう意味では、私が自分の少年時代(昭和40年代後半から50年代)を感じるのは、ATGの映画の数々だ。

 なかでも名作の誉れ高い『祭りの準備』や『遠雷』などを見ると、昭和時代の地方特有の閉塞感ややりきれなさを、とてもリアルに感じることができる。

祭りの準備
▲『祭りの準備』。1975年製作・公開。黒木和雄監督、江藤潤主演。昭和30年代の高知県中村市(現:四万十市)を舞台にした脚本家中島丈博の半自伝的作品。芳雄ちゃんの小汚さがいい。ラストシーンの「ばんざ~い! ばんざ~い!」にぐっとくる


 あの汗臭さというか、ねっとりとした人間関係とか、性しか関心のない田舎の生活のつまらなさとか、それらの総体としてのある種の「湿気」が、いかにも昭和の地方なんだよな・・・、などとと感じるのである。

 若いころは、こうした昭和の田舎特有の湿気的世界が嫌で嫌でしょうがなかった。さりとて、「オラ、東京さいくだ」というほど東京への憧れもなかった、というかそういう「東京にあこがれる感性」そのものが、湿気にまみれたイケてない生き方だとも思っていた。

 結局、学校を出て就職した某アルソックを辞めて、ユーコン河やタクラマカン沙漠、パミール高原など海外の辺境をほっつき歩く生活をはじめたのも、こうした日本の湿気的世界が嫌で、浅井慎平風に言えば「乾きたかった」からなのだ。

遠雷
▲『遠雷』1981年製作・公開。根岸 吉太郎監督、永島敏行主演。都市化の波が押し寄せる東京近郊の農村地帯を舞台に、トマト栽培をする青年の姿を描く。石田えりの真っ白い下着のイケてなさが、昭和を切なく感じさせる。ま、そういう時代だったんだよ、バブルの前の昭和ってのは


 ところが五十路も目の前にならんとする今、改めてこれらの作品を見ると、なんだかそこに描かれる湿気や閉塞感、イケてなさがとても懐かしいのである。

 そこには、私が少年時代をすごした昭和の風景と匂い、あの湿気のある世界がそのままに残っている。郷愁とは、いつも優しいものだ。


 ま、私も年をとったということか・・・。

 それにしても、『竜馬暗殺』、『祭りの準備』、『遠雷』、『田園に死す』を立て続けに見ると、さすがにお腹いっぱいになるね。

 昭和は遠くなりにけり。

 (おしまい)

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