巧言令色鮮し仁/(身辺雑記)
- 2015/07/24(Fri) -
 東洋思想の古典の中でも、私が最も愛読しているのは『易経』だ。

 今から3000年前の古代中国でまとめられた『易経』は、義理(哲学)の書であると同時に卜筮(占い)の書でもあり、儒学の四書五経の頂点に立つ。

 惑星物理学もなかった古代にまとめられた箴言・警句でありながら、その宇宙観は優れて科学的であり、宇宙の森羅万象は一瞬たりとも変化しないものはなく、しかし変転の中に万古不易の法則があるとする。


 たとえば師弟の交わりについて、『易経』はこう教える。

 我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。

(教育の理想は、我、すなわち師たる者から求めて童蒙に教えるのではなく、子弟・童蒙の方から進んで師に教えを求めることにある)。


 あるいは人のあり方についてはこう諭す。

 潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
 子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
 世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
 楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
 確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。

(潜竜を用いるなかれとは、いかなる意味か? 孔子は言う。竜のごとき徳、聖人の徳がありながら、最下層に隠れている人のことである。世の中の移り変わりによって主義を変えることもなく、世間に名を出そうともしない。世に用いられずに隠遁していても、むしゃくしゃすることはないし、だれにも正しいとされなくても、不平を抱くことがない。世に道あって、社会的活動がこころよく感じられるときは、その道を世に行い、乱世で、わが身が汚される憂いのあるときは、ただちに世間に背を向けて去る。そのようにしっかりとして、その志を奪えないもの、それが潜竜である)



 『易経』は、周の文王が卦辞を、周公が爻辞を作り、それに孔子が「伝」を加えて大成したものである。このため上記、潜竜用いるなかれの文中で、「子」とされてるのは、かの孔子だ。

 孔子といえば『論語』があまりにも有名だが、私はこちらはあまり明るくない。

 中学校の国語の授業で初めて『論語』を習ったときに覚えたのは、以下の警句だ。

 子曰、巧言令色、鮮矣仁。


 世知辛い世での身過世過ぎの中では、広大な宇宙観から発せられる『易経』の深遠な箴言よりも、人の世の有り様をリアルに語った孔子先生の警句の方が、時としてぐさりと的を得ることもある。

 いやな渡世だなあ・・・。

 (おしまい)


 
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