『理心流異聞』/(柳剛流)
- 2015/08/10(Mon) -
20150810_書評


 司馬遼太郎の『理心流異聞』は、昭和42(1967)年に発表された短編小説である。

 現在は、講談社文庫の短編集である『アームストロング砲』の中の一編として読むことができる。本作は沖田総司を主人公に、松月派柳剛流の剣士との立合いをテーマにした小編だ。


 柳剛流には多数の分派があるのが特徴だが、史実にあたれば「松月派」というのは無いようで、作者の創作であろうことが伺える。また作中で、岡田十内を思わせる人物が「岡田喜内」となっているのは、おそらく作者が意図的に書き換えているのであろう。一方で、流祖・岡田惣右衛門奇良の生地を蕨とするなど、明らかな間違いも少なくない。

 とはいえ、何しろこの作品は近代における柳剛流研究の嚆矢ともいえる、森田栄氏著の『日本剣道史 第十号 柳剛流研究その1』の発行よりも6年も前に書かれたものであり、こうした誤謬の数々も止むを得ないだろう。

 しかも、そもそものところでこの作品は論文や研究書ではなく、フィクションたる「小説」であるからして、史実の誤謬にいちいち目くじらをたてても仕方があるまい。


 また当然ながら、本作は天然理心流の沖田総司が主人公なので、敵役である柳剛流がしっかりとdisられているのは言うまでも無い(苦笑)。

 たとえば、

「-当時、柳剛流は江戸の剣客のなかでは評判がよくない外法(げほう)とののしる者もあり、『百姓剣法』と悪口する者もいた」

「異様に長い竹刀で相手の足ばかりをねらうために、いかにもなりがわるく、観る者もそのぶざまさに失笑したり、それが意外にも勝ち進むために、ひそかに舌打ちをする者もあった」

「柳剛流も、こうして他流のあいだで立ちあわせてみると、いかにも醜い。角力でさえ足を取るのはいやしいとされている」

 などなどである。

 ま、司馬遼太郎といえば、『五輪書』をまともに理解した形跡がない上で宮本武蔵についてdisる作品を書いたり、一方で千葉周作を徹底的に持ち上げる人であるからして・・・、ま、そういうことですな(笑)。

 もっとも実際のところでも、柳剛流が武州から江戸まで関東の剣術界を席捲した江戸後期の当時から、当流の特長である斬足之法については、「卑怯」とか「醜い」といった批判があったようだ。

 このため流祖自ら、

 「世の剣術家は皆、斬足之法があることを知らない。このため剣を学ぶ者は足を斬ることを恥としている。しかし戦場において脚を斬らないという理屈があるだろうか。脚を斬ってくることに備えなければならないのは明白であり、そこで私は斬足之法を創案したのである」(三重県多気郡、奉納額より)

 と、その意義と有効性を強調している。

 ちなみに本作の主人公である沖田総司の流儀である天然理心流にも、「山影剣」に脚斬りの太刀筋があるし、多くの剣術流派において脚斬りはそれほど珍しい業ではないということは、本ブログでも何度か指摘してきた。

 ただ、防具着用での流派の垣根を越えた地稽古や試合稽古が普及した幕末期の剣術界では、共通ルール的感覚というか、言わずもがなの部分で「脚は打たない」という不文律が、多くの剣術家に共有されていたのだろうことは想像にかたくない。

 だからこそ、そのような時代背景の中で、あえて脚斬りを前面に押し立てた柳剛流が地稽古や試合稽古で圧倒的な強さを発揮し、一方で「外法」「百姓剣法」とののしられたというのは、なんとはなしに、かつての空手界におけるローキックの是非に関する論争を想起させる。

 ちなみに伝統派空手道では試合においてローキックは禁止なわけだが、一方で足払いは有効である。このため私などは、試合や地稽古では「限りなくローキックに近い足払い」をよく使ったものだが、それはそれは、よく効く技であった・・・・・・。


~兵は詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出ず。此れ兵家の勢、先きには伝うべからざるなり~(『孫子』計篇)

 (了)
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