正しい地稽古や試合のために/(武術・武道)
- 2009/04/16(Thu) -



 久しぶりに、なかなか見ごたえある動画でした。

 剣道となぎなたの対戦です(試合か地稽古かはちょっと不明だが、たぶん試合?)。

 両者の段位等は不明ですが、中堅どころ前半の有段者(3~4段くらい)でしょうか?

 剣道側(A)は、なぎなた(B)の脛斬りを警戒して、低めの中段で付けています。こういう地面と平行になるような低い正眼は、古流にもありますね。

 00:09で、Aが先をとって正面打ち。いい攻めです。なぎなたよりも間合いが近い=不利な立場であるAは、こういうように攻める気力で相手を追い詰めていかないと、不利になります。これは、初学の観戦者にも理解しやすい、「位で詰める」攻撃例だといえるでしょう。

 0:38のBの突き。やや浅いですが、突きの直前、半歩下がり、膠着した間合をいったん切っているのがツボです。一足一刀の間合いで攻めあぐねた場合は、こうして間合をいったん切るのが有効です。一方で、膠着した間合で半端に出した0:42のBの突きは、逆に見切られていることも、併せて考えてみると良いでしょう。

 1:11。Bの打ち込みをすかして(すり上げずに、抜いていると思われる)の面、見事です。自分よりも間合いの遠い相手とは00:09のように位で詰めて先をとるほか、こうした後の先も有効です。しかし理屈がそうだからといって、だれでも簡単にできるものではありませんぞ(笑)。Aの拍子と間合の見切りが効いています。これはとても理解しやすい、「後の先」の技の実例です。

 1:50。こんどはBの突きが入ります。これまた実に見事です。0:38の時はやや浅かったですが、今度は十分にコントロールされ、拍子もぴったり、なにより気剣体がしっかりと一致しています。先の1:11の面もそうですが、打たれた(突かれた)側が、「これは一本取られた!」っと納得できる技で決めることが大切です(※1)。また、1:11の抜いて面が「後の先」の技であったのに対し、ここでのBの突きは、典型的な「先」の技の例となっています(※2)。

 
 全体に、日本武道らしい対戦の映像で勉強になりました。

 試合稽古にせよ地稽古にせよ、武「道」の対戦とは、この動画のようであるべき気がします。やたらめったら、叩き合い、ど突き合いをすりゃあ良いってもんじゃあ、ありません。

・なんのための自由攻防の稽古(試合)なのかを、当事者同士が理解している。
・見世物やパフォーマンスではないことを、当事者同士が理解している。
・仮に審判がいなくても、決まった技の適否を、当事者同士がきちんと納得できる。
・開始から終わりまで、当事者同士が武人としての基本的な礼節を遵守している。

 この辺りのポイントを、十分理解しておかねば、武術・武道として有意義な地稽古や試合にはなりません。たんなる類人猿同士の喧嘩になります。

 私が日ごろ、空手道の公式な試合以外、つまり剣術や居合・抜刀術、柔術、手裏剣術などの武術に関しては、「信頼関係のない相手とは、基本的に地稽古やスパーはやらない」と公言しているのも、こういう意味からです。

 ことに試合と違って、基本的に審判やギャラリーが存在しない当事者同士だけの自由攻防の練習である地稽古は、互いに信頼関係や尊敬の念がない場合は、熱くなればなるほど単なる喧嘩になる可能性が高まり、結局、怪我などの事故につながり、勝っても負けても後に禍根を残すものです。

 競技化以前の武術流派のほとんどが、他流試合を禁止したのも、こうした問題点からですし、逆に明治以後の武道の競技化は、剣道にしろ柔道にしろ空手にせよ、こうした弊害をなくし、だれもが公平な約束の下で、自由な攻防の稽古ができるようにしたいという点を求めた、先人たちによる方法論からのアプローチだったといえるでしょう。

※1
一方で試合などの際、相打ちどころか、やられた方の自分自身が明らかに「うわぁ! 一本取られた!!」と思っているのに、審判が「不十分」とか「取りません」とかジャッジすることも、わりあいある。こういうとき相手と目が合うと、「チッ!」っという顔しているので、こちらは「すまぬ、すまぬ」というお詫びの念を込めたテレパシーを送らねばならない(笑)。

それにつけても、審判というのは責任の大きな立場なのである・・・。

※2
先後の概念・分類については、人によってその定義に若干の差異があります。翠月庵では、富木謙治師範が解説・分類された、「先々の先」・「先」・「後の先」という分類概念を採っています。

(了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
| メイン |