礼は異を弁かつ/(武術・武道)
- 2015/09/29(Tue) -
 過日、とある空手教室での出来事。

 準備運動からその場基本、移動基本がそろそろ終わるかなというころ、おそらく児童の保護者であろう男性が一人、稽古場に入ってきて見学席に座った。

 さてその男性なのだが、野球帽をかぶったままである・・・。

 ちらっと見て「なんだかなあ・・・」と思ったが、ここでは私は指導者や責任者ではないので、それを咎める立場ではない。

 気づかなかったのかもしれないが、誰かが注意するでもなく、そのまま稽古が続いた。


 この教室は個人や流儀・会派による個別の道場ではないこともあってか、作法や礼法については、かなりゆるい雰囲気である。

 それについて、私がとやかく言う筋合いではない。

 しかし、もしここが自分の稽古場であれば、そこで帽子をかぶっている正当な理由(抗がん剤治療中など)がないのであれば、その保護者に脱帽するよう促すであろう。

 また稽古開始、終了時には毎回黙想を行うわけだが、その際、ほとんどの場合、見学席で見ている保護者の誰かが喋っている。

 これもまた私の稽古場であれば、「お子さんたちが黙想しているのですから、保護者の皆さんもこの間は私語を謹んでください」と促すであろう。

 ま、当たり前の話である。


 しかし武芸の技術と同様、作法や礼法というものも、誰かに教わらなければ知ることができないものだ。

 現在、児童たちの保護者である人々は、おそらく20~30代が中心であろうが、これらの大人たちが、日本の伝統的かつ一般的な基本的作法について知らないのは仕方のないことであろう。

 だからこそ、こうした武術・武道の稽古の場で、それらの大人たちにも子供たちとともに、稽古という「場」を共有するための最低限の作法は諭す必要があるのではなかろうか。

 室内では脱帽する、稽古中の私語は極力控える、武具をまたがないなどといった、武術・武道における常識的な作法について、入会・入門時に、親子そろって簡単なレクチャーなどを受けさせるといった工夫が必要だろう。あるいは入会・入門時に、簡単なレジュメを配るのも、ひとつの方法かもしれない。

 いずれにしても、「礼は異を弁かつ」という意義を、まず大人が率先して学び、理解することが重要であろう。

 (了)
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