柳剛流の女武芸者たち/(柳剛流)
- 2015/10/22(Thu) -
 女子の出席をとります。

・小川金さん (弘化3(1846)年10月28日入門)
・小川栄さん (同年11月19日入門)
・桃井伊代さん(弘化4(1847)年1月5日入門)
・中山米さん (同年3月15日入門)
・藤堂直さん (同年4月15日入門)
・池登美さん (文久3(1863)年9月26日入門)
・山●染さん (同年9月27日入門)
・藤田采さん (慶応元(1865)年8月30日入門)

 以上、8名。柳剛流、岡田十内の女性門弟でした・・・・・・。



 幕末期の柳剛流を代表する剣客・岡田十内の門弟帳は「神文帳」と呼ばれ、現在も第1・3・4・5巻が残されている。第1巻は天保14(1843)年から始まり、第5巻は慶応2(1866)年で終わっており、入門日、氏名、一部には家中の名前も示されている。

 所在不明の第2巻分を除き、23年間、合計962名に及ぶ入門者のうち、冒頭に記したように女性剣士は合計8名。最初に氏名が記されている小川金は、神文帳に記された門弟の順番では254番目。翌月に入門した小川栄は、小川金の家族であろうか?

 文久3年入門の池登美は、後年、池富の名前で、千葉貞、佐竹茂雄(園部秀雄の母)と並ぶ女武芸者として、撃剣会で大活躍したというのは、以前、本ブログに書いた通りである。

 池登美は柳剛流の剣術はもとより、長刀もよく遣ったことが当時の『女師演武会番付』にも見てとてれる。ただし富の使った長刀が、柳剛流の長刀だったのか、あるいは岡田十内の妻である鉄が創始した柳剛心道流の長刀であったのかはつまびらかではない。

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▲『女師演武会番付』。西の筆頭に池富の名があり、遣うのは剣術・長刀となっている(辻淳先生著『戸田剣術古武道史』より)


 池登美が柳剛流岡田十内道場に入門した文久3年、柳剛心道流の道統は、すでに流祖である岡田鉄から二代目の岡田柳に受け継がれていたことが伝書の記録から明らかになっている。

 文久2(1862)年に、岡田柳が横田丑太郎に授与した伝書をみると、その技法体系は長刀の形十二ヶ条、突杖五ヶ条、裏手段十二ヶ条、「敵散」「八方剣」の二ヶ条(口伝あるいは剣術形か?)で構成されている。このうち突杖五ヶ条は、「ハジキ」「ハズシ」「右留」「左留」「抜留」となっており、柳剛流の突杖とまったく同一であることが分かる。

 なお剣術史家の辻淳先生は、この伝書に示された形は柳剛心道流の技術体系の一部であり、さらに目録や免許に相当する階梯があったのではないかと推察されている。

 この伝書を見る限り、柳剛心道流には基本的には剣術形が含まれていないようであるが、一方で先に挙げた『女師演武会番付』では、池富の氏名に長刀と合わせて剣術があえて明記されていることから、富は柳剛心道流の長刀もちろん、岡田十内直伝の柳剛流の剣術もかなりよく遣ったのであろう。


 むつけき男たちに混じり、剣や長刀の腕を磨いた8人の女武芸者たちというのは、なかなかに想像をかきたてる。

 そういえば、今を去ること30年前、私の通っていた高校の剣道部では、男子と女子が一緒に稽古をした。

 真夏の合宿での地稽古などは、たいへん厳しくつらいものであったが、その際、まだ紅顔の美少年であった私(!?)がシゴかれてヘトヘトになっていると、女子剣道部のA先輩がよくしてくれたものである・・・。

 それもまた遠い昭和の日、青春の甘酸っぱい思い出だ。

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▲NHK大河ドラマ『龍馬伝』で貫地谷しほりが演じた、
北辰一刀流の女武芸者・千葉佐那


■参考文献
「柳剛流岡田十内門弟帳の研究」大竹仁著/『戸田市立郷土博物館研究紀要 第7号』
『戸田剣術古武道史』辻淳著/剣術流派調査研究会

 (了)
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