田んぼの中心で掛け声を叫ぶ/(身辺雑記)
- 2015/11/01(Sun) -
 本日は仕事を「半ドン」で抜け出し(半ドンって、もう死語か・・・)、わが翠月庵の稽古場へ。

 ここのところ仕事や所用、雨天などがかさなり、稽古場に行くのは3週間ぶりだ。

 稽古場の脇に家主さんが丹精している畑があるのだが、ふと見ると前回の稽古時にはまだ芽も出ていなかった小松菜やほうれん草などが、大きく葉を茂らせている。

 時は流れているのだな・・・。

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▲稽古場も秋の気配に包まれる


 ここのところ、平素の稽古では柳剛流に専念しているため、三間以上の本格的な打剣は久しぶりである。

 しかし、思っていたほどには腕は鈍っていなかったようで(苦笑)、通りすがりの老夫婦が、「ちょっと見ていていいですか?」と問うので「どうぞ」と答えた後に打った四間直打は、5本ともほぼ八寸的に収まったのには我ながら大満足。

 つうか、演武の時より調子が良いではないか!!

 もっとも、「では、これで・・・」と夫婦が立ち去った後の三間打ちで、いきなり全剣失中とか、打剣に波がありすぎなのは相変わらずだ(爆)。

 それにしても、自宅では二間座打ちしかできないだけに、やはり屋外の稽古場でのびのびと剣を打つのは実に爽快だ。 「板金を打つ心」で、ズドン! と的に剣が打ち込まれた時の爽快感は、手裏剣術者だけが味わえるものだろう。

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▲四間、順体での直打。翠月剣



 稽古後半は、八戸藩伝神道無念流立居合に専念。

 これもまた手裏剣術と同様、平素の稽古では存分にできないので、ここでみっちりと行う。

 稽古場以外での平素の稽古は、自室かあるいは団地前の私道で夜間にやることがほとんどなわけだが、神道無念流立居合の稽古は実際に刀を使い、しかも大きな掛け声を伴うので、自宅の稽古では存分にできないのだ。

 なにしろ、夜中に屋外や自室で、大声を上げながら刀を振り回したりすると、お巡りさんのお世話になりかねないのでね・・・。

 その点、翠月庵の稽古場は屋外ながら郊外の田園地帯の中であり、また近隣にお住まいの方々のご了解も十分に得られているので、心おきなく存分に掛け声をかけながら刀を抜くことができる。

 武芸における掛け声の重要性は、私の師である小佐野淳先生が、稽古の折りや著作を通して重ねてご指摘されていることだ。

 私自身も己の稽古や試合の経験から、「掛け声は武技のひとつ」という信念を以前から持っていて、自身の稽古における重要な眼目としている。

 また、私が現在も断続的にご指導をいただいている糸州流空手道のA先生も、「掛け声は、その人の修行の年輪ですよ」と、よくおっしゃっている。

 いずれにしても、腹の底から掛け声が掛けられる稽古環境というのは、たいへん貴重なものだと思う。

 稲刈りが終わった田園地帯にて、「エイ! ヤッ! トー!」の掛け声を掛けながら、のびのびと刀を抜くひと時。

 思う存分稽古ができるというのは、いやまったく、幸せだなあ・・・。

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▲剣を打ち、刀を振るう。楽しからずや

 (了)
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