柳剛忌/(柳剛流)
- 2015/11/05(Thu) -
 本日11月5日は旧暦の9月24日、柳剛流の流祖である岡田惣右衛門奇良の祥月命日である。

 そこで秋晴れの心地よい日差しの中、武州葛飾郡惣新田(現在の埼玉県幸手市)にある流祖の生家へ、墓参に伺った。


 明和2(1765)年3月15日にこの地に生まれた岡田惣右衛門奇良は、18歳にして剣を志して上京し、心形刀流の大河原右善有曲に師事する。

 その後諸国を修行して巡るなか、柳の枝の風に折れぬ柔能く剛を制すの心を持って柳剛流と号す。その独創である「断脚之術」は多く人の知るところとなり、一橋家剣術指南役に就任。神田お玉が池に開いた道場は多いに栄え、門弟幾千人とも言われた。

 年積もって文政9(1826)年9月24日、江戸にて病没。行年62歳。

 亡骸は牛込の幸国寺に葬られたというが、同寺は安政6年の大火で消失。火災後、墓石から逆に作成した過去帳には文政9年9月24日に鈴木氏として、その法名が記されるのみであり、墓石などは残されていない。

 一方で、武州葛飾郡惣新田の生家では、流祖の墓が今も大切に守られている。

 墓石は2つあり、古い方は建てられた年代は不詳という。隅丸角柱型の墓石には、

 智光院泰穏日照居士

 という流祖の戒名が、妻・むめの戒名などとともに刻まれている。

151105_流祖墓石1
▲向かって右から2番目の墓石に、流祖と妻女の戒名が刻まれている


 もう1つの墓石は、明治43(1910)年頃に、流祖の業績を偲んで建てられたもので、やはり流祖の戒名とともに、妻や子孫の名が刻まれている。

151105_流祖墓所にて
▲明治に建てられた墓石横にて。生家の方が
是非にと写真を撮ってくださった


 墓参を済ませた後、流祖生家であるA家でお茶をいただき、少々お話をうかがいながら郷土史家が編纂した資料などを拝見させていただいた。


 A家を辞し駅への道を歩いていると、どうしたことかこんな季節に桜の花が咲いている。

 植え込みにある説明板を読むと、秋から花を咲かせるジュウガツザクラなのだという。

 何かとても清清しい気分になり、家路に着いた。

151105_ジュウガツザクラ
▲墓参の帰路、通りではジュウガツザクラが満開であった

 (了)
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