柳剛流の刀法に関する誤りについて/(柳剛流)
- 2015/11/10(Tue) -
 柳剛流の刀法といえば、多くの人がまず相手の脚を斬る技を思い浮かべるだろう。確かに当流の“術”の根幹が「断脚之術」「斬足之法」であるのは事実である。

 それに加えてもう1つ、関連資料などによく書かれている点に、

 「脛を払い相手にかわされたら、そのまま切先を返し、刀の峰の部分の刃で切る」

 というものがあるのだが、これについては大きな誤りであることを指摘しておきたい。

 なぜなら、仙台藩角田伝にも、あるいは幸手市剣道連盟の先生方が伝承されている仙台藩伝にも、そのような技が含まれている形はない。紀州藩田丸伝については、私はその具体的な形を拝見したことがないのだけれど、同伝に詳しい研究者の方が個人的に教えてくれた話でも、「そのような技は無いだろう」とのことであった。


 それではなぜ、このような実技・実伝として存在しない刀法が、あたかも柳剛流に存在するという誤った情報が流布してしまったのか? それは現在も残されている岡田十内の差料の切先が、たまたま両刃造りだったからであろう。

 この刀を見た武術の実践経験のない研究者の方々が、 「柳剛流は脛を払うのだから、それを相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るために、切先を両刃造りにしたに違いない・・・」と、早合点したのだと考えられる。

 実際のところ、岡田十内の差料の切先が両刃造りであるということ以外、伝承されている形においても、あるいは残された伝書や覚書などにも、「切先を返して云々・・・」という伝承や記述、技の説明などは皆無なのである。

 さらに、こうした誤解を生んだ大きな要因のひとつに、昭和48年発行の森田栄先生著『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』の記述がある。

 同書は、本邦における柳剛流研究の嚆矢であり、その功績の大きさは計り知れない重要な資料であるが、こと実技・実伝に関しては、記述の信頼性に少なからず瑕疵がみられる。

 たとえば本書の14ページには、長刀(薙刀)に関する一般論として、以下のような記述がある。

「長刀は双刃が特長で、薙ぎ込んで、その技が成功しない時は、その儘返して背の刃で切るのが特長で、この足薙ぎの特長が剣法に応用されたものと認めます」 

 私は薙刀(長刀)術はそれほど詳しくないのだけれど、 「長刀は双刃が特長」「薙ぎ込んで、その技が成功しない時は、その儘返して背の刃で切るのが特長」というのは、あまり聞いたことがない。

 また、一部の古流には刀や太刀の峰側を使って剣を交える形もあるようだが、基本的には打刀にしても薙刀にしても、構造上、峰の部分に力がかかるような運刀は、刃切や破折の可能性が高く、心得のある武芸者であれば避けるものであろう。

 さらにいえば両刃造りの切先というのは、切先を返して峰側で斬るというよりも、刺突の効果向上を狙ったものであると考えるのが、より合理的かつ一般的ではなかろうか。

 にもかかわらず、柳剛流研究の原書ともいえる『日本剣道史』に上記のような記述があり、しかも岡田十内の差料の切先がたまたま両刃造りだったということから、

 「柳剛流では脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るのだろう・・・・・・・・・たぶん

 ということで実技にも、伝書や覚書にも記述のない架空の技が、あたかも存在するものとして伝播されていったのではあるまいか。

 
 このように、真摯かつ権威のある研究者の方々の著述にも、武術の実践家という立場からみると誤謬としか思えないことが書かれていることが少なくない。

 たとえば森田栄先生とならぶ柳剛流の先行研究者として、埼玉大学で地域の武術史を研究されていた故山本邦夫先生がいらっしゃる。同先生も「浦和における柳剛流」という論考の中で、ここまで述べてきた「切先を返して云々・・・」という誤りをそのまま記述をしている。

 さらに同論考の中で、

 「(柳剛流の特徴は)頭や胴体、手足のどことも決めず、斬るのではなく突いて突いて突きまくる点にあった」

 とも書いているのだが、これなども大きな間違いだ。

 同先生は、おそらく柳剛流研究の重要な資料として知られる、三重県田丸の「奉献御宝前」という掲額にある、

 「身體四肢無一所不斬突也」

 という記述を参照して、このような一文を書いたと思われるのだが、この一文のどこをどう読めば「斬らずに、突いて突いて突きまくる」となるのだろうか?

 ちなみに森田栄先生はこの一文を、

 「身体四肢何処を斬っても突いてもよい」

 と訳している。

 私もそのように読むし、おそらく誰が読んでも、先の一文はそのようにしか読めないだろう。

 あるいは山本先生は、「奉献御宝前」以外のなんらかの資料を基に、「斬らずに、突いて突いて突きまくる」と書いたのだろうか? そうだとすれば、その出典となる資料、あるいは証言者について明記すべきであるが、同論考にはそのような記述はないのである。

 しかし記述の根拠や原点を知らず、加えて流儀の実技も知らない人からすれば、「高名な大学の先生が論文で、『斬らずに、突いて突いて突きまくる』と書いているのだから、柳剛流とはそういうものなのだろう・・・」と思ってしまうのはいたしかたなく、その誤解がまた拡大再生産されて広がっていくというわけだ。


 このように、「切先の峰で斬る」「斬らずに、突いて突いて突きまくる」といった曲解や誤読がされてしまう要因は、ほとんどの先行研究者が柳剛流の実技そのものを知らなかったということが第一であり、さらにいえばそもそもの部分で、多くの研究者が武術・武道の実践家ではなかったからだともいえるだろう。

 武芸というものが身体文化である以上、実技・実伝が伴わない考察や論考は、どうしてもこのような間違いを犯しがちなのである。

 一方で、実践家である武術・武道人には、流儀の事跡や歴史的な部分の調査・研究に関心の低い人も少なくない。このため、行為としての形や技だけが残されても、その技が意味する理合や、その形が成立する根拠・背景などがまったく受け継がれなくなってしまったり、あるいは伝書をはじめとした歴史的価値の高い資料が失われてしまったりするわけだ。

 古流武術という貴重な文化を正しく伝承し、活きた文化・行動科学・哲学として稽古をしていくためには、実技の研鑽と事跡の調査・研究を両輪として、バランスよく取り組まねばならない。



■参考文献
「日本剣道史 第10号 柳剛流の研究 その1」、1973年/森田栄
「埼玉県の柳剛流(その1)」『埼玉大学紀要(体育学篇)』第14巻、21-35、1979年10月/大保木輝雄
「浦和における柳剛流」『浦和市史研究』第2号、132-158、1987年/山本邦夫
「埼玉の剣術 : 神道無念流・甲源一刀流・柳剛流 第7回特別展」1991年/戸田市立郷土博物館

 (了)
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