「モノ切りマニア」たちの弊害/(武術・武道)
- 2009/04/20(Mon) -
 ちょっと前、昭和の終わりから平成のはじめ頃までは、剣術や居合の世界でも、試物、いわゆる試斬=試し斬りというのは、それほど一般的ではなかった。

 それどころか、「試斬をすると悪い癖がつく」などといって、一切、そういった稽古・鍛錬を禁止する流儀や師範も珍しくなかった。

 思うにこれは、居合の世界などでいまでも時折目にすることのある、「とにかくゆっくりした抜き打ちしかダメ。早抜きなど言語道断」主義と同じ、偏った思考がいつのまにかドグマとなってしまったという典型例だろう。


 推測するに、試斬を忌避した人々というのは、武術・武道としての剣術や居合・抜刀術の稽古においては、安易な試し斬りの実施は手段と目的を履き違えることがあるという観点から、当初、それを強調したのであろう。

 同様に、「ゆっくり抜く」というのも、あくまで稽古の方便のひとつであり、「ぜったい速く抜くな」とか、「一生、速く抜いてはダメ」というとこではないに決まっている(笑)。こんな子供でも分かる道理が、いつのまにか「ゆっくり抜く」「早抜きはダメ」というドグマ化して、現在のようになってしまったのだ。

 その結果、剣を扱う武術・武道であるのに、「一度も真剣で試物をしたことがありません」という、いわばエア剣術家とかエア居合道家が大量に育成されてきたわけだ。

 あるいは、ゆっくりと「しか」抜けない居合術家、いわばダッシュをしたことのない100mランナーみたいなものが、大量生産されてきたのである。


 さて、これに対して、例えば、戦後一般に普及した戸山流などは、試斬を積極的に行う流儀として昭和以降の武術・武道界で異彩を放ってきたし、その影響下で昭和の中ごろから平成にかけて、もっぱら真剣での試斬を主とするいくつかの現代流派も誕生した。

 その結果、最近ではもともと試斬をよくやる流儀・会派以外、伝統的な流儀も含めて、わりあい多くの剣術人、居合・抜刀術(道)人の間で試し斬りが行われるようになり、以前ほど試物に対する忌避感は無くなってきているように思える。

 これは個人的には、良い風潮であるように思う。

 ただしそれは、あくまでも「稽古の方便のひとつ」としての試し斬りであるべきであるのは論を待たない。ここを間違えると、たんなる「モノ切りマニア」になってしまう。

 試物というのは、あくまで流儀の型や業、太刀筋に基づいて行うべきものであり、剣を用いた「武術」なり「武道」の、稽古のいち部分に過ぎないのである。

 そういう意味で、ときおり「畳表を切るには身幅の薄いものが良い」とか、「硬いものを切るには、重ねの厚いものが良い」などといった、刀の道具論のみをやたら強調する人がいるが、これはこれで本末転倒ではないか?

 つまり、「斬りの稽古(試し斬り)というのは、剣術人や居合・抜刀術人にとっては必須の稽古法の一つであるが、それ自体(物切り)が目的ではない!」、ということを強調したいのである。

 ところが、これは個人的な感覚なのだが、ここ数年、かつての試物に対する極端な忌避感の反動のように、むしろ安直なモノ斬りが増えているようにも思えるのである。

 その結果、どういうことが起きるのか?

 例えばこういうこと。

http://www.youtube.com/watch?v=YmPa8OZT7P4

 あるいは、こういうことである。

http://www.youtube.com/watch?v=ICLAvjUmPnI&feature=player_embedded

 どちらも、武術・武道としては、見るに耐えないのは言うまでもない。

 なにより、いずれも業などという以前に、ごく初歩的的な打刀の扱い方も知らないため、たいへん危険なのである。

 もっとも愚かな大人が、剣のまともな使い方も知らずに、自分の指を切ったり、助手の手首を落としたりするのは、私の知ったことではない。

 こうした映像を見て、青少年が安易にまねをし、怪我をすることを、私は恐れるのである。


 このような愚行が発生する責任は、当然ながら現代の日本の武術・武道界にも多いに責任があるし、その末席を閉める自分自身も、改めて襟を正さねばならないと改めて思う。


 「モノ切りマニア」を育てるようなエセ武術・武道人にだけは、なりたくないものだ・・・。
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